老人談義:最近のゲームの話
この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、3日目の記事です。
はじめに
TGAアドベントカレンダー2025、3日目はTGA21、ヤクガラスがお相手致します。
今年もこの季節がやってまいりましたね。
当方、昨年・一昨年と連続で投稿数トップの5本を飾っている暇人ですが、今年は私生活とラボのタスクが溜まりに溜まっているので、記録維持については難しいかもしれませんね……。
まぁ、書き物は苦ではないので、寧ろ現実逃避のために書くかもしれませんが。
そんなこんなで、まだまだ未熟な身の上ですが、そんな私も現在5年目。TGAの現役会員の中では年長枠になり、ゲートボール場に片足突っ込んでいるところでございます。
過去2年は若さと熱意に任せて好きなゲームのレビューを書き連ねていましたが、そろそろ「昔はこんなことがあってなー」とか「最近のゲームはー」とか、老人っぽいことを話し始めて先輩風を吹かせてみようかなーと思うわけでございます。
まぁ、ぶっちゃけ「別に面白ければ何でもいいんじゃね」という所に落ち着きますし、多分次回からまたゲーム紹介に戻るので、それこそ「老人の小言」とでも思ってお楽しみいただければと思います。
ということで、今日は「最近のゲームのお話」です~
ゲームの面白さ
さて、いきなりかなり難しい話ですね。
結論から言うと、「人による」という所になってしまいます。
というのも、少なくとも「面白いと思うゲーム」は人によって変わります。
かくいう私も、対NPCアクションや高難易度ストラテジーが好みで、ノベルゲームが苦手です。
ただ、これは「どういうゲームに興味があるか」という話であって、原理的な「ゲームの面白さ」とは若干ずれますね。
個人的な解釈や価値基準については様々あるかと思いますが、より普遍的に「ゲームが面白くなる」原理的な背景については、脳科学的には「ドーパミンレベルが上がって報酬系が活発になるから」と説明されます。
さらに遡って、何故報酬系が活発化するのかを突き詰めていくと、多くの文献では「制御感」とか「支配感」という所に行きつきます。
「経験のレプリカ」として構築されたゲーム空間の中での、複雑な処理に対しての操作の簡便さ、行動から結果までのフィードバックの早さ、セーブやリトライによる修正可能性などが、「特定の目的のため行動を計画して実行する」という報酬系の本質的な機能を強烈に刺激することが、「ゲームの面白さ」の本質になるわけです。
……よく分からないですね。もう少し噛み砕きましょう。
動作の簡便性
例えば、マリオがジャンプするたびにプレイヤーが全力でジャンプする必要があったら、それはそれで面白いですが、ゲームとしてはただただ辛いですよね。
あるいは、スマブラの緊急回避で後転する動作がありますが、人によってはかなり苦労する動作かと思います。
動作の一つ一つに苦労が生じない点は、プレイヤーが取れる選択肢の中で発生するコストを大幅に低下させます。
即効性
モンハンではダメージを「回復薬」で回復することができますが、回復薬を飲んでから1週間かけて徐々に体力が戻る仕様だったら、嫌になっちゃいますよね。
内容にも寄りますが、多くのゲームではプレイヤーの行動に対する結果は、現実よりも大幅に短縮して発生します。
数週間後に恩恵を受けられるタスクよりも、すぐに結果が返ってくるタスクの方が、モチベーションが上がりやすいことが分かっています。
だから、国を救うためには「選挙に行く」よりも「魔王を倒す」方がモチベーションが上がりますし、「病気を治すために1か月間薬を飲み続ける」よりも「回復薬を飲む」方が実行したくなるんです。(私は回復薬を渋って乙る民ですが……。)
修正可能性
ボスに挑戦するために5時間かけたのに、負けてしまって一からやり直しになったら、私は「絶対にボコボコにしてやる」と硬く誓う人間ですが、普通は萎えて、そのままモチベーションをなくしてしまうかと思うんですね。
これって日常の試験とかでも同じで、失敗した後の再挑戦が数か月先になると、「次は頑張ろう」よりも「取り返しがつかないことをしてしまった」という感覚が勝る場合が多いんです。
ただ、幸運なことに大抵のゲームには「セーブ」と「ロード」が設定されていて、極論データは作り直せばあらゆる現象が「取り返しがつく」ものなんです。
タスクの実行とフィードバックを経て、「次回」をすぐに試せるゲームの原理は、モチベーション維持に極めて重要になります。
ゲームプレイが快適になる背景には、このように①操作が簡便で制御が容易であること、②実行後に結果がすぐに帰ってくること、③モチベーションが失われる「間」が無いこと、などが存在しています。
ここに、ゲームの「目新しさ」や「チャレンジ感」、interestingではなくfunnyな方の「面白さ」などの個性が加わってくることで、昨今のゲームは日夜成長を遂げているわけです。
見方を変えれば、前者の項目が満たされていれば、脳が感じるところの「ゲームとしての面白さ」は担保されていると言えます。
その上で、ゲームシステムなど内容の面で「ゲームの楽しみ方」が提示されていて、ここが個人の好みに合えば「ゲームが楽しい」と感じられるわけです。
逆に、原理的な面白さを欠いた「楽しみようがない要素」を持つゲームこそ「クソゲー」であるというのが、私の持論です。
最近のゲーム
当方2002年生まれで、当時丁度「ゲーム脳」とかいう似非科学が流行っていた時期なんですが、当時から比較すると、ゲームに対しての認識はかなり改善されている印象です。
それもあってか、ゲーム産業はかなり拡大&多様化していますよね。
私自身、古き良きタイトルから新出の不可思議な作品まで色々と遊びつつ、常々実感しております。
アップデートされている点を挙げればきりがないですが、方向性の大きなくくりとして、①リアル化、②多機能化、③オンライン化に関しては、多くのゲームジャンルに関わるポイントかと思います。
これらについて、一消費者の分際ではありますが、利点と欠点を分析していきます。
リアル化
最近のゲーム、本当にすごいですよね……。
ゲームエンジンが進化して、グラフィックもサウンドも何もかも滑らかになっています。その最たる例が「オープンワールド化」で、マップ間の移動やロードを挟まない仕組みは、めちゃくちゃ綺麗です。
利点は言わずもがな、臨場感があることですね。
大事な戦闘やイベントの合間にロードが挟まったり、大事な会話イベントの最中にキャラクターが無表情で突っ立っていたりという、白けてしまうような「ゲームっぽさ」が排除されて、どこまでもゲームプレイに没頭できるようになります。
ロードの省略は「制御感」の向上につながりますし、プレイの中の自然さは、ゲームを「経験の集合体」として脳に強く印象付けるので、いずれも「ゲームの本質的な面白さ」に貢献しています。
反面、昨今はゲーム体験の中での「リアルっぽさ」を追求する動きもあります。
ややこしい話ですが、「ゲームの設計がリアルになる」か、「ゲームの内容がリアルになる」か、という違いがあります。
後者の「リアル」については、物によっては寧ろ、ゲームの面白さを損なってしまいます。
例えば、モンハンでプレイヤーが操作するハンターは高所から落下してもダメージを受けず、「モンスターなハンター」なんて言われたりしますが、落下ダメージまでリアルに再現されると困りますよね……。
あるいは、あつ森で植えた木が数年経たないと成長しないなら、多分誰も植えません。
前述したとおり、ゲームは「リアルな経験と比較して」制御感や支配感があるために面白く、それを損ねる「リアル」は全てノイズになります。
極論、全てリアルな体験にしたければ、現実で実際に体験すれば良いわけで……。
身も蓋もない話ですが、ゲームを面白くするためには「面白い要素を増やす」よりも「面白くない要素を削る」方が簡単で、かつ重要になってきます。
どれだけ楽しい状態でも、水を差す要素が一つあるだけで、ずっと引っかかってしまいますからね。
その側面では、プレイヤーが不便になるリアルさは、「それを楽しみとして取り入れているゲーム」でない限りは入れるべきではないというのが、個人的な所見です。
特に、過去作品でゲーム性をプレイヤーが把握して「楽しみ方が確立されたタイトル」に対して、後継作品でリアル感を付与する行為は、地雷を踏みやすい印象です。
多機能化
これはかなりシンプルですが、昔のゲームと比較すると、どのゲームもメチャクチャ機能が多いですよね。
キャラメイクやビルドに幅があったり、アクションが無数にあったり、ゲームのストーリー自体がプレイングで分岐したりと、あらゆる面で「楽しみ方」が増えている印象を受けます。
一般に、ゲーム内で「できること」が増えると、ゲームの「制御感」が補完されることで面白さが加速します。
例えば、地上移動限定だったゲームにジャンプが追加されるだけでも、高い場所を探索したり、攻撃をジャンプで回避したりと、ゲーム体験は大きく変わります。
技が増えれば取れる選択が広がり、ストーリーやルートが分岐すれば、各々が自由な楽しみ方を味わうことができるようになります。
一方で、自由度の高さは面白さを損なう要因にもなり得ます。
自由度の高さや選択肢の広さが行き過ぎると、プレイングや方針が定まらず「何をしていいのか分からない」という面での非制御感が生じます。
もう一点、当然ながら人気タイトルの新作で「楽しみ方が減る」ことも、面白さが低下する要因になります。
過去作ではもっと面白いアクションやシステムがあったのに、今作では丸々削除されてしまった、なんて場面が割と多いです。
元からない場合と比較して、過去の快適感を味わった上で削除される方が、ショックは大きいんですよ……。
「新作の機能拡張」という面で特徴的だと思ったのが、ストⅥのモダン操作設定ですね。
一応、システムとしてはストⅣのアプリ版の「簡単必殺技」の時点で存在していましたが、これがメイン作品の方にも取り込まれた感じかと思います。
私自身、アプリ版でこのシステムに助けられて格ゲーの面白さを知れた民ですので、「初心者向け機能」として楽しみ方が増えるものと考えていましたが、どうも「難しい操作を練習しようとした人がオンライン環境でボコボコにされる」という事態があまり好ましく思われていないようですね……。
確かに、格ゲーマーが壮絶な読み合いの隙間を縫って複雑なコマンド入力でコンボを成功させる様子は憧れを感じますし、それを目指して練習し始めた最中、コンボがつながらず「モダンの方が楽で強い」と言われてしまうと、辛いものがありますね。
一応、コマンドの制限やダメージ低下の都合でクラシックの方が理論上は強いようですが、それでも「コマンド入力に苦戦しながらも対戦して強くなる」という楽しみ方が損なわれるのは、簡単な評価では片づけられない問題です。
オンライン化
IT技術の展開・導入のペースも早いようで、最近では身近なコンシューマーゲームまで全部「オンライン化」してますよね。
データがオンラインで取得できたり、マルチプレイが容易になる面ではゲームプレイが快適になっているように見えますが、例のごとく「面白さ」を考えた時に、「オンラインに特化したゲームシステム」は、当然ながら制御感を大幅に損ねてしまいます……。
先ほど、ゲームの「ゲームっぽさ」が消えると没頭感が増すという話をしましたが、逆に度重なるロードやラグは、当然ながらゲームの快適さを損ないます。
最近よくあるのが「サービス開始/アプデ直後に人が多くてまともにプレイできない」という状態で、ゲーム体験としては最悪ですよね……。
まぁ、そのために大規模サーバーを用意しておいて、開始から時間がたって人が減った結果行き場を失ったサーバーだけが残る、という事態を考えると、戦略的には「初手で不便をかける」のを許容する方が正解なんですけどね。
そこで、「オフラインプレイ」のオプションがあればまだ楽しみようもあるんですが、最近はマルチプレイを標準化しようとした結果、ソロ・マルチ問わず完全オンライン必須のゲームも多いですからね……。
当方、未だに最近のゲームのマルチ推し姿勢が理解できないソロゲーマーです……。
TGAの人間はマルチ誘わなくてもゲーム買ってくれますし、それ以外でマルチに誘う知り合いもいないので、売り上げにはあんまり貢献できないんですよね。
ちなみに、マルチプレイ化そのものに関しては、五分五分という印象です。
極論、マルチプレイする相手はたいていの場合は非制御感の塊ですが、初心者が上級者に助けられて感謝する場面は往々にしてあるかと思います。
同時に、味方のプレイと噛み合わず罵倒が飛び出すのもまた、「制御感」というゲームの本質を考えれば至極真っ当な行動ですし、それを様式美として受け入れていける寛大なゲームであれば、問題はありません。
問題は、そんな中で「マナーを大切に」とか提言するゲームの方ですかね。
基本的に、マルチ前提のゲームで「嫌なら出ていけ」とプレイヤーを選別・排斥し始めたらおしまいなので……。
長々と書きましたが……
最近のゲームは「新しさ」が開発のベースに置かれている中でも、何となく「価値観の押しつけ」が多くなっているように感じたので、その感覚を共有してみたくなった次第でございます。
今回はゲームの面白さの本質を「制御感」という言葉でまとめつつ、その辺を色々と考えていきました。
分析を抜きにした私個人の感覚としても、新しいものばかりでプレイを縛られるくらいなら、過去のゲームのシステムをそのままグレードアップして再現したり、ちょっとした追加要素を入れる程度にしてもらう方が嬉しいです。
そもそも、別に過去のゲーム作品にそこまで不満は無いので……。
いわゆる「リメイク作品」が色々と話題にあがるのを見るに、共感してくれる人は多いと思います。
それはそれとして、新しいものが次々と追加されている面については、飽きることが無くて面白いですけどね。
私も来年は色々とぶっ通しで忙しくなる想定ですが、何とか時間を見つけて新作ゲームを漁っていく所存です。
ということで、老人がただただお気持ち表明するだけの駄文になってしまいましたが、明日からはまた楽しい感じの記事になるはずなので、乞うご期待です!!
それでも、本日はこんなところで~