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カードゲームのインフレに伴う変化

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、5日目の記事です。

初めに

こんにちは。Mです。本日はカードゲームのインフレに伴う戦術やゲーム性の変化を追っていきたいと思います。ここでは、メタゲームなどの観点はあまり持たず、それぞれの試合のこちらは多大なる個人の偏見が多分に含まれています。苦手な方はご遠慮ください。また、筆者はTCGとは言っていますが、多くのことはBattle Spiritsとデュエル・マスターズでの経験に基づいて多くのカードゲームに言えそうなことを抽象化しているので、予めご了承ください。(インフレを感じられるほど長い期間やっているのがこの二つしかない…)

定義

今回カードゲームのインフレの話をするにあたって、ここでのカードゲームとインフレの定義をします。
1.カードゲームとは
本記事の考察ではいわゆるトレーディングカードゲームを想定しています。要件は主に以下の通りです。
1.プレイヤーはあらかじめデッキを構築する
2.ターン制で進行
3.規定の条件を先に満たした方が勝ち
4.定期的にカードプールの更新がある
4 番の条件は少し異質ですが、本記事ではインフレをするカードゲームに対して考察する必要が
あるのでご了承ください。
2.インフレとは
カードプールの更新に伴って、カードパワー(ここではそのカード1枚がゲームに与える影響力や強さの総合的な指標)が上昇することだとします。

インフレの影響

インフレが起こった場合、カードゲームはどうなるのでしょうか。どのゲームにも共通している要素として考えられるのは出力の上昇、高速化、再現性の向上などだと思います。ここでの出力とはカードでとれるアドバンテージ量の増加です。

戦術の変化

多くのカードゲームにおいて最序盤、創成期はどのような感じでしょうか。私は新しいTCGをできた時からやることはほとんどないので推測が多く含まれてしまうのですが、人から聞いたり記事を読んだ感じでは、リソース差を作ることで自身に有利な状況を作り出し、そのアドバンテージを生かして勝ち切ることが多いように感じました。それではカードゲームにおいて、カードパワーが向上すると起こることは何でしょうか。それは前の影響のところでも少し述べましたが、ゲームの高速化です。多くのインフレの行き着く先としては疑似的な、もしくは直接的に勝利を意味するカードの出現です。
どのゲームにしてもただやられるのを見ているのはつまらないので防御用のカードが作られたりしますが、どうせそのうちその防御札を飛び越えて相手を倒しきるカードがインフレによって作成されます。そのような状況になるとどうなるのか。多くのカードゲームのインフレで言えることだと思うのですが、ゲームをたためるカードが作られる→それに対抗する(この場合は耐える)カードが作成される→それを乗り越えるカードが作成される。防御札を超える以上のフィニッシュ方法はありません。つまりインフレは火力を上げる以外の方向に伸ばすしかなくなります。そう、それは先に出すことです。”先にゲームを終わらせるカードを出した方が勝つ”という簡単な理屈です。じゃあキルターンは速くなるのは納得がいくことです。メタカードなどによりターンをもらうことで自分のフィニッシュを先に叩き込もうとするのはとても合理的な戦略だと思われます。では、そうなった際、ゲーム性はどうなるのでしょう。

ゲーム性の変化

前述の通り、インフレ前、あるいは初期ではアドバンテージ差を作りそれを勝利へと結びつけることが多いです。そしてインフレが進むとゲーム速度が加速する。加速するということは、終了までのターン数が短くなる。つまり、ターンの重みが増加します。例を出します。4ターンで終わるゲームと5ターンで終わるゲームでは最終的に迎えるどちらかが勝利条件を満たすという出力は変わりません。その出力を1だとすると4ターンの場合0.25、5ターンの場合0.20が1ターン当たりの貢献量です。つまり、ゲームの速度が加速するほど1ターンで行うべき勝利への貢献度は上昇します。(もちろんそんなに単純に言い切れるものではないのですが、ここでは簡単のために抽象化しています)もちろん現代のデュエル・マスターズのようにハンデスなどを駆使してゲームを意図的に遅くしてターン数が昔よりも長くなるというようなことはありますが、これらは大体2t,3tで相手の主要パーツを抜いているかのように実質的なキルターンはほかのデッキと大差はない気がしています(もちろん遅くはなっているが)。その結果、先手後手の差が大きくなり、運ゲーというような感情を抱く機会が増えてしまいます。ほかにもターン数が少なくなると単純に公開領域が減ることになり、いわゆる事故のような状況に陥ることが多くなり、これもまた運ゲーだという感想に結びついてしまいます(マリガンがないならなおさら)。

クソゲー?

では、インフレしたカードゲームはクソゲーなのでしょうか。私は必ずしもそうではないと思います。インフレして、ゲームレンジが短くなってしまい、先手後手の差が大きくなってもカード開発者たちはよりプレイヤーが楽しめるようなカードデザインをしていますので、ただ出ただけで勝ち!みたいなカードは規制されやすく、また、短いターンの中で密度の濃いやり取りができるようなデザインをすることによって、ゲームとして楽しめる条件は満たしていると感じています(もちろんやらかしてしまった時には、ターン数が短いことで目も当てられないことになった
りしがちですが)。また、今ではカード1枚1枚のゲームに対する影響力が大きいため、リソースを意識した立ち回りは大切な要素です。インフレが進んだところで、ゲームの根本であるリソース管理は変わらず重要であったということです。

まとめ

インフレする中でカードゲームは運ゲーが加速してしまうが、それでもリソースという概念と向き合うことは依然として重要です。それが健在である限り、カードゲームはゲーム足り得ると考えられます。

反射神経

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、4日目の記事です。


こんにちは。TGA23のたもです。

 

みなさんは反射神経をご存じでしょうか。

ご存じですね。反射神経をご存じでない方はあまりいないと思います。

 

では、反射神経というゲームはどうでしょうか。

unityroomで遊べるゲームなのですが、長いことトップページに君臨し続けているので見たことがある人もいるかもしれません。

 

端的に説明すると、2つのボールを操作して、流れてくる板を避け続けるゲームです。左右のボールにはそれぞれ1つのキーが対応していて、キーを押すと外側に、離すと内側に移動するだけのシンプルなゲーム。板を超えるたびにスコアが増えるだけの、とてもシンプルなゲーム。

 

 

……簡単そうですよね。

 

 

やってみれば分かりますが、めちゃくちゃ難しいです。

初めのうちは1桁スコアは当たり前、配置がよくてもスコア20程度が関の山でしょう。

 

しかし、謎の中毒性がある。

ジャンルとしては『マウスクリック連打速度テスト』とか『エイム能力テスト』に近い単発系のゲームなのに、他にはない魅力がある。

 

そうして続けていると、突然ベストスコアが50に伸びる。そこで感覚をつかみ、30程度なら苦も無く到達できるようになる。

 

「反射神経」なんて一切使わないのに、このゲームにはこのゲームでしか使わない能力が確かに存在して、それ専用の回路が脳の中で組みあがっていく。

 

やがてスコアは100に到達し、板の速度が上がり、それでもスコアは伸び続ける。スコア200で板の速度が最大になるが、その頃にはもはや板は止まって見えている。

 

回路が「完成」し、雷でも落ちなければミスることはない、そんな自信がつく。実際、スコアは際限なく伸び続け、あとは集中力と目の渇き、そして突発的な痒みとの戦いになる。

 

 

そんなゲームです。

 

 

自分のベストスコアは1300くらいだったのですが、この記事を執筆するにあたり久々にプレイしたら1700まで伸びました。また、unityroomのコメント欄で片手プレイの存在を知ったので挑戦したところ、かなり苦戦しましたが450程度まで到達しました。久々に回路を作る感覚を味わえて楽しかったです。

 

みなさんもぜひ挑戦してみてください。


余談ですが、自分の場合、片手プレイの練習をしていたら使っていない指の組み合わせも勝手に上達していたんですよ。普段左の玉を操作している指で右の玉を操作してもそれなりに上手くいく。でも、反対側の手だと全くできない。

 

人間の脳は不思議ですね。

老人談義:最近のゲームの話

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、3日目の記事です。

はじめに

TGAアドベントカレンダー2025、3日目はTGA21、ヤクガラスがお相手致します。

 

今年もこの季節がやってまいりましたね。
当方、昨年・一昨年と連続で投稿数トップの5本を飾っている暇人ですが、今年は私生活とラボのタスクが溜まりに溜まっているので、記録維持については難しいかもしれませんね……。
まぁ、書き物は苦ではないので、寧ろ現実逃避のために書くかもしれませんが。

 

そんなこんなで、まだまだ未熟な身の上ですが、そんな私も現在5年目。TGAの現役会員の中では年長枠になり、ゲートボール場に片足突っ込んでいるところでございます。

過去2年は若さと熱意に任せて好きなゲームのレビューを書き連ねていましたが、そろそろ「昔はこんなことがあってなー」とか「最近のゲームはー」とか、老人っぽいことを話し始めて先輩風を吹かせてみようかなーと思うわけでございます。

まぁ、ぶっちゃけ「別に面白ければ何でもいいんじゃね」という所に落ち着きますし、多分次回からまたゲーム紹介に戻るので、それこそ「老人の小言」とでも思ってお楽しみいただければと思います。

 

ということで、今日は「最近のゲームのお話」です~

 

ゲームの面白さ

さて、いきなりかなり難しい話ですね。

 

結論から言うと、「人による」という所になってしまいます。
というのも、少なくとも「面白いと思うゲーム」は人によって変わります。
かくいう私も、対NPCアクションや高難易度ストラテジーが好みで、ノベルゲームが苦手です。
ただ、これは「どういうゲームに興味があるか」という話であって、原理的な「ゲームの面白さ」とは若干ずれますね。

 

個人的な解釈や価値基準については様々あるかと思いますが、より普遍的に「ゲームが面白くなる」原理的な背景については、脳科学的には「ドーパミンレベルが上がって報酬系が活発になるから」と説明されます。

さらに遡って、何故報酬系が活発化するのかを突き詰めていくと、多くの文献では「制御感」とか「支配感」という所に行きつきます。
「経験のレプリカ」として構築されたゲーム空間の中での、複雑な処理に対しての操作の簡便さ、行動から結果までのフィードバックの早さ、セーブやリトライによる修正可能性などが、「特定の目的のため行動を計画して実行する」という報酬系の本質的な機能を強烈に刺激することが、「ゲームの面白さ」の本質になるわけです。

 

 

……よく分からないですね。もう少し噛み砕きましょう。

 

動作の簡便性

例えば、マリオがジャンプするたびにプレイヤーが全力でジャンプする必要があったら、それはそれで面白いですが、ゲームとしてはただただ辛いですよね。
あるいは、スマブラの緊急回避で後転する動作がありますが、人によってはかなり苦労する動作かと思います。

動作の一つ一つに苦労が生じない点は、プレイヤーが取れる選択肢の中で発生するコストを大幅に低下させます。

 

即効性

モンハンではダメージを「回復薬」で回復することができますが、回復薬を飲んでから1週間かけて徐々に体力が戻る仕様だったら、嫌になっちゃいますよね。
内容にも寄りますが、多くのゲームではプレイヤーの行動に対する結果は、現実よりも大幅に短縮して発生します。
数週間後に恩恵を受けられるタスクよりも、すぐに結果が返ってくるタスクの方が、モチベーションが上がりやすいことが分かっています。

 

だから、国を救うためには「選挙に行く」よりも「魔王を倒す」方がモチベーションが上がりますし、「病気を治すために1か月間薬を飲み続ける」よりも「回復薬を飲む」方が実行したくなるんです。(私は回復薬を渋って乙る民ですが……。)

 

修正可能性

ボスに挑戦するために5時間かけたのに、負けてしまって一からやり直しになったら、私は「絶対にボコボコにしてやる」と硬く誓う人間ですが、普通は萎えて、そのままモチベーションをなくしてしまうかと思うんですね。
これって日常の試験とかでも同じで、失敗した後の再挑戦が数か月先になると、「次は頑張ろう」よりも「取り返しがつかないことをしてしまった」という感覚が勝る場合が多いんです。
ただ、幸運なことに大抵のゲームには「セーブ」と「ロード」が設定されていて、極論データは作り直せばあらゆる現象が「取り返しがつく」ものなんです。
タスクの実行とフィードバックを経て、「次回」をすぐに試せるゲームの原理は、モチベーション維持に極めて重要になります。

 

ゲームプレイが快適になる背景には、このように①操作が簡便で制御が容易であること、②実行後に結果がすぐに帰ってくること、③モチベーションが失われる「間」が無いこと、などが存在しています。
ここに、ゲームの「目新しさ」や「チャレンジ感」、interestingではなくfunnyな方の「面白さ」などの個性が加わってくることで、昨今のゲームは日夜成長を遂げているわけです。

 

見方を変えれば、前者の項目が満たされていれば、脳が感じるところの「ゲームとしての面白さ」は担保されていると言えます。
その上で、ゲームシステムなど内容の面で「ゲームの楽しみ方」が提示されていて、ここが個人の好みに合えば「ゲームが楽しい」と感じられるわけです。

逆に、原理的な面白さを欠いた「楽しみようがない要素」を持つゲームこそ「クソゲー」であるというのが、私の持論です。

 

最近のゲーム

当方2002年生まれで、当時丁度「ゲーム脳」とかいう似非科学が流行っていた時期なんですが、当時から比較すると、ゲームに対しての認識はかなり改善されている印象です。
それもあってか、ゲーム産業はかなり拡大&多様化していますよね。
私自身、古き良きタイトルから新出の不可思議な作品まで色々と遊びつつ、常々実感しております。

 

アップデートされている点を挙げればきりがないですが、方向性の大きなくくりとして、①リアル化、②多機能化、③オンライン化に関しては、多くのゲームジャンルに関わるポイントかと思います。

これらについて、一消費者の分際ではありますが、利点と欠点を分析していきます。

 

リアル化

最近のゲーム、本当にすごいですよね……。
ゲームエンジンが進化して、グラフィックもサウンドも何もかも滑らかになっています。その最たる例が「オープンワールド化」で、マップ間の移動やロードを挟まない仕組みは、めちゃくちゃ綺麗です。

 

利点は言わずもがな、臨場感があることですね。
大事な戦闘やイベントの合間にロードが挟まったり、大事な会話イベントの最中にキャラクターが無表情で突っ立っていたりという、白けてしまうような「ゲームっぽさ」が排除されて、どこまでもゲームプレイに没頭できるようになります。
ロードの省略は「制御感」の向上につながりますし、プレイの中の自然さは、ゲームを「経験の集合体」として脳に強く印象付けるので、いずれも「ゲームの本質的な面白さ」に貢献しています。

 

反面、昨今はゲーム体験の中での「リアルっぽさ」を追求する動きもあります。
ややこしい話ですが、「ゲームの設計がリアルになる」か、「ゲームの内容がリアルになる」か、という違いがあります。
後者の「リアル」については、物によっては寧ろ、ゲームの面白さを損なってしまいます。

 

例えば、モンハンでプレイヤーが操作するハンターは高所から落下してもダメージを受けず、「モンスターなハンター」なんて言われたりしますが、落下ダメージまでリアルに再現されると困りますよね……。
あるいは、あつ森で植えた木が数年経たないと成長しないなら、多分誰も植えません。

前述したとおり、ゲームは「リアルな経験と比較して」制御感や支配感があるために面白く、それを損ねる「リアル」は全てノイズになります。
極論、全てリアルな体験にしたければ、現実で実際に体験すれば良いわけで……。

 

身も蓋もない話ですが、ゲームを面白くするためには「面白い要素を増やす」よりも「面白くない要素を削る」方が簡単で、かつ重要になってきます。
どれだけ楽しい状態でも、水を差す要素が一つあるだけで、ずっと引っかかってしまいますからね。

その側面では、プレイヤーが不便になるリアルさは、「それを楽しみとして取り入れているゲーム」でない限りは入れるべきではないというのが、個人的な所見です。
特に、過去作品でゲーム性をプレイヤーが把握して「楽しみ方が確立されたタイトル」に対して、後継作品でリアル感を付与する行為は、地雷を踏みやすい印象です。

 

多機能化

これはかなりシンプルですが、昔のゲームと比較すると、どのゲームもメチャクチャ機能が多いですよね。

キャラメイクやビルドに幅があったり、アクションが無数にあったり、ゲームのストーリー自体がプレイングで分岐したりと、あらゆる面で「楽しみ方」が増えている印象を受けます。

 

一般に、ゲーム内で「できること」が増えると、ゲームの「制御感」が補完されることで面白さが加速します。

例えば、地上移動限定だったゲームにジャンプが追加されるだけでも、高い場所を探索したり、攻撃をジャンプで回避したりと、ゲーム体験は大きく変わります。
技が増えれば取れる選択が広がり、ストーリーやルートが分岐すれば、各々が自由な楽しみ方を味わうことができるようになります。

 

一方で、自由度の高さは面白さを損なう要因にもなり得ます。
自由度の高さや選択肢の広さが行き過ぎると、プレイングや方針が定まらず「何をしていいのか分からない」という面での非制御感が生じます。

 

もう一点、当然ながら人気タイトルの新作で「楽しみ方が減る」ことも、面白さが低下する要因になります。
過去作ではもっと面白いアクションやシステムがあったのに、今作では丸々削除されてしまった、なんて場面が割と多いです。
元からない場合と比較して、過去の快適感を味わった上で削除される方が、ショックは大きいんですよ……。

「新作の機能拡張」という面で特徴的だと思ったのが、ストⅥのモダン操作設定ですね。
一応、システムとしてはストⅣのアプリ版の「簡単必殺技」の時点で存在していましたが、これがメイン作品の方にも取り込まれた感じかと思います。
私自身、アプリ版でこのシステムに助けられて格ゲーの面白さを知れた民ですので、「初心者向け機能」として楽しみ方が増えるものと考えていましたが、どうも「難しい操作を練習しようとした人がオンライン環境でボコボコにされる」という事態があまり好ましく思われていないようですね……。
確かに、格ゲーマーが壮絶な読み合いの隙間を縫って複雑なコマンド入力でコンボを成功させる様子は憧れを感じますし、それを目指して練習し始めた最中、コンボがつながらず「モダンの方が楽で強い」と言われてしまうと、辛いものがありますね。

一応、コマンドの制限やダメージ低下の都合でクラシックの方が理論上は強いようですが、それでも「コマンド入力に苦戦しながらも対戦して強くなる」という楽しみ方が損なわれるのは、簡単な評価では片づけられない問題です。

 

オンライン化

IT技術の展開・導入のペースも早いようで、最近では身近なコンシューマーゲームまで全部「オンライン化」してますよね。

データがオンラインで取得できたり、マルチプレイが容易になる面ではゲームプレイが快適になっているように見えますが、例のごとく「面白さ」を考えた時に、「オンラインに特化したゲームシステム」は、当然ながら制御感を大幅に損ねてしまいます……。

 

先ほど、ゲームの「ゲームっぽさ」が消えると没頭感が増すという話をしましたが、逆に度重なるロードやラグは、当然ながらゲームの快適さを損ないます。
最近よくあるのが「サービス開始/アプデ直後に人が多くてまともにプレイできない」という状態で、ゲーム体験としては最悪ですよね……。

まぁ、そのために大規模サーバーを用意しておいて、開始から時間がたって人が減った結果行き場を失ったサーバーだけが残る、という事態を考えると、戦略的には「初手で不便をかける」のを許容する方が正解なんですけどね。
そこで、「オフラインプレイ」のオプションがあればまだ楽しみようもあるんですが、最近はマルチプレイを標準化しようとした結果、ソロ・マルチ問わず完全オンライン必須のゲームも多いですからね……。

当方、未だに最近のゲームのマルチ推し姿勢が理解できないソロゲーマーです……。
TGAの人間はマルチ誘わなくてもゲーム買ってくれますし、それ以外でマルチに誘う知り合いもいないので、売り上げにはあんまり貢献できないんですよね。

 

ちなみに、マルチプレイ化そのものに関しては、五分五分という印象です。

極論、マルチプレイする相手はたいていの場合は非制御感の塊ですが、初心者が上級者に助けられて感謝する場面は往々にしてあるかと思います。
同時に、味方のプレイと噛み合わず罵倒が飛び出すのもまた、「制御感」というゲームの本質を考えれば至極真っ当な行動ですし、それを様式美として受け入れていける寛大なゲームであれば、問題はありません。

 

問題は、そんな中で「マナーを大切に」とか提言するゲームの方ですかね。
基本的に、マルチ前提のゲームで「嫌なら出ていけ」とプレイヤーを選別・排斥し始めたらおしまいなので……。

 

長々と書きましたが……

最近のゲームは「新しさ」が開発のベースに置かれている中でも、何となく「価値観の押しつけ」が多くなっているように感じたので、その感覚を共有してみたくなった次第でございます。

 

今回はゲームの面白さの本質を「制御感」という言葉でまとめつつ、その辺を色々と考えていきました。
分析を抜きにした私個人の感覚としても、新しいものばかりでプレイを縛られるくらいなら、過去のゲームのシステムをそのままグレードアップして再現したり、ちょっとした追加要素を入れる程度にしてもらう方が嬉しいです。

そもそも、別に過去のゲーム作品にそこまで不満は無いので……。
いわゆる「リメイク作品」が色々と話題にあがるのを見るに、共感してくれる人は多いと思います。

 

それはそれとして、新しいものが次々と追加されている面については、飽きることが無くて面白いですけどね。
私も来年は色々とぶっ通しで忙しくなる想定ですが、何とか時間を見つけて新作ゲームを漁っていく所存です。

 

ということで、老人がただただお気持ち表明するだけの駄文になってしまいましたが、明日からはまた楽しい感じの記事になるはずなので、乞うご期待です!!

それでも、本日はこんなところで~

 

 

 

ウルデラ言語差小ネタ

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、2日目の記事です。

はじめに

TGA22のClomyです。最初の方は軽い記事がいいかなと思ったんですが、新作ゲームに手を出す数と、新たなRTAに手を出す数があまり変わらない人間がいいネタが思いつかなかったので、ニッチな小ネタでお茶を濁そうかと思います。

ということで、自分がRTAをよくやっている『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』のテキストの言語差について紹介します。しかも、タイムに関わる部分だけ!

ゲーム紹介

星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』は、2008年に発売されたニンテンドーDS用アクションゲームで、1996年発売の『星のカービィ スーパーデラックス』のリメイク版です。カービィおなじみのコピー能力はもちろん、様々なゲームモードのオムニバス形式の作品です。(会誌第126号(2025五月祭会誌)より。懐かしいね。)

言語差比較

実は日本版と、非日本版でそもそもゲームの仕様の違いが多少あります。特に日本版は北米版の次に発売されているのですが、なぜか日本版の方がバグが多かったりします。その辺の話が気になる方はカービィシリーズ Speedrun Wikiの該当ページを見てみてください。

先述の通り、今回はあくまでRTA/IGTAに影響する「テキストの量による表示時間の差」にのみ注目します。具体的なテキスト比較が気になる方はこちらもカービィシリーズ Speedrun Wikiの該当ページを見てみてください。本作は、1文字・1スペースごとに一定時間をかけるため、最速の可能性があるのは日本版と韓国版のみです。この2つについて各モードでテキスト比較すると、ボス「バトルウィンドウズ」出てくるモード全て、および「メタナイトの逆襲」は韓国版が有利(文字数が少ない)、「大王の逆襲」は日本版が有利、他はテキストが表示されないので(バグの使用を考慮しなければ)どちらでも変わりません。割とわかりやすい原因があるな~と昔思っていて、それをまとめたのが以下です。

文字の圧縮効率

軽く韓国語の知識を導入します。韓国語はハングルと呼ばれる文字で記述されます。子音と母音が必ず1セット、母音の後にパッチム(받침)と呼ばれる子音が付くことがあります。例えば漢字の「一」は「일」となり、韓国語の「漢字語」も日本語の「漢字」同様1文字で表されます。一方韓国語の「固有語」については、日本語の「訓読み+送り仮名」とある程度比較できないことも無いですが、一概にどちらが有利とは言い難いです。言えることとして、本作で大きな差になる場所は無さそうです。

パッチムが明確に効いてくるのが、英語等の音をハングル・かなで表すとき、つまり外来語です。「ファンファン」は「펀펀」となんと4文字差です。また長音も基本無く、何度も出てくる「カービィ」は「커비」と2文字差です。カタカナの固有名詞の多いカービィシリーズでは結構有利です。

逆に韓国版の方が不利な点もあります。韓国語は文字の区切りとして句読点(正確には,と.)の他、日本語の「文節」にあたる部分でスペースを空けます。「2連主砲」すら「2중 주포」となり1文字分長くなるので、この点では日本版の方が有利になります。

ところで、カービィシリーズ特有のテキスト文化として、漢字を控え平仮名を多用することが多い印象があると思いますが、意外とその影響はないです。まず、「バトルウィンドウズ」はリメイク元の「スーパーデラックス」で「Classic Mac OS」に似せた作りの関係か、全てひらがな・カタカナになっています。一方「メタナイトの逆襲」「大王の逆襲」は普通に漢字を使います。特に前者は「マジなふんいき」を再現するためそれも自然なことかなと思います。後者もそのオマージュですし。

バトルウィンドウズの言語差

前述の通り、「バトルウィンドウズ」は、日本版は全てひらがな・カタカナになっているので、漢字語を使える韓国版が有利……というのが理由の半分です。残りの半分は何と日本版のみに挿入される「インデント」です。

○○が、
   Xポイントあがった!

という表示1回ごとに5文字分損ですので、これだけで30文字分の損です。

「メタナイトの逆襲」の言語差

合計すると15文字分韓国版の方が有利です。この微妙な差については、日本版は毎回最初に『「』を新たに表示するために1文字分の時間を消費することで22文字分の時間を消費していることが韓国版の勝因だったのではないかと思います。

もう少し韓国版が有利な気がしていたんですが、パッチムの無い外来語「メタナイト」が「메타 나이트」と1文字分損だったせいかもしれません。

「大王の逆襲」の言語差

合計すると15文字分日本版の方が有利です。これについては理由ははっきりしていて、日本版に比べて韓国版の方が余計な形容詞がついているからです。「わがしもべ」が「내 충직한 신하(私の忠直な臣下)」、「おのれおのれ、ピンクだまめ!」は「이 괘씸한 핑크색 찐빵 녀석(この忌まわしいピンク色の찐빵やろう)」といった具合です。ピンク「だま」に対応する「찐빵(チンパン)」は蒸しパンらしいです。ちょっと気になる。

まとめ

ということで、誰向けの情報かはわかりませんが、「外来語」、「韓国語のスペース」、「日本版のインデントと『「』」、「韓国版へのローカライズの際の形容詞の追加」が文字数差のポイントになっているようです。

ちなみに、最初は「韓国版/日本版の方が文字数が少ない」に統一しようと思ったんですが、面倒になったので「韓国版が有利」という走者語を躊躇なく使うことになりました。

2025年の振り返り

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、1日目の記事です。

はじめに

 2025年度TGA代表のlinkiです。 今年もアドカレをやることになりました。初日は代表が書くらしいので、自分の視点から覚えていることを振り返りたいと思います。

3月

代表就任

 代表になりました。

新歓の準備

 無事にサークル代表者会議に出ました。慣例の地獄のビラ詰めもたもさんの協力で終わってめでたしめでたし

4月

新歓

 新歓がほかのサークルと被って新入生が少なかったです。オンライン新歓もありましたが、なかなか去年のようにできませんでした。いろいろ改善の余地あるでしょうかね

5月

五月祭

 副代表のMさんが頑張りました。場所もよくてたくさんの人が来て、企画の並走がやや大変のと、ある企画で会員が寝坊したこと以外無事に終わりました。

8月

駒場祭責任者会議

 夏休みだし帰省の時期は当然オンラインもあると思って前日見たらオフラインだけで、当日も委員会からの電話は出れずMさんが対応しました。Mに感謝しています。

夏コミ

 3回目(?)の売り子をやりました。OTBさんとwattaさんの協力で結構売れて、楽しいコミケでした。

9月

夏休み企画

 Mさんが提案した夏休み企画です。たくさんのゲームをみんなで遊びました。

11月

駒場祭

 紅白戦とスマブラ対戦企画が三回も続きました。安全に終わりました。紅組は勝利おめでとうございます!

12月

アドベントカレンダー

 やるかどうかの議論を忘れて、開催することをデフォルトとして始めました。完走できるといいね

冬コミ

 昨日が締め切りですが、自分はレポートが多くては締め切りを守れないことが判明しました。12/30(火) 、東ト23aでお会いできるのを楽しみにしております。

終わりに

 振り返ってみたら自分の事務能力がカスなことは自明なことであり、無事に代表としての役割を果たしたのは怪しいかもしれません。それにもかかわらず、ゲー研の活動は来年以降も続きます。来年は会員がもっと増えて、みんなで元気にゲームを楽しめることを心より願っております