Category Archives: Advent Calender

12/1から12/25まで、毎日会員が記事を書く企画です

カードゲームのインフレに伴う変化

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、5日目の記事です。

初めに

こんにちは。Mです。本日はカードゲームのインフレに伴う戦術やゲーム性の変化を追っていきたいと思います。ここでは、メタゲームなどの観点はあまり持たず、それぞれの試合のこちらは多大なる個人の偏見が多分に含まれています。苦手な方はご遠慮ください。また、筆者はTCGとは言っていますが、多くのことはBattle Spiritsとデュエル・マスターズでの経験に基づいて多くのカードゲームに言えそうなことを抽象化しているので、予めご了承ください。(インフレを感じられるほど長い期間やっているのがこの二つしかない…)

定義

今回カードゲームのインフレの話をするにあたって、ここでのカードゲームとインフレの定義をします。
1.カードゲームとは
本記事の考察ではいわゆるトレーディングカードゲームを想定しています。要件は主に以下の通りです。
1.プレイヤーはあらかじめデッキを構築する
2.ターン制で進行
3.規定の条件を先に満たした方が勝ち
4.定期的にカードプールの更新がある
4 番の条件は少し異質ですが、本記事ではインフレをするカードゲームに対して考察する必要が
あるのでご了承ください。
2.インフレとは
カードプールの更新に伴って、カードパワー(ここではそのカード1枚がゲームに与える影響力や強さの総合的な指標)が上昇することだとします。

インフレの影響

インフレが起こった場合、カードゲームはどうなるのでしょうか。どのゲームにも共通している要素として考えられるのは出力の上昇、高速化、再現性の向上などだと思います。ここでの出力とはカードでとれるアドバンテージ量の増加です。

戦術の変化

多くのカードゲームにおいて最序盤、創成期はどのような感じでしょうか。私は新しいTCGをできた時からやることはほとんどないので推測が多く含まれてしまうのですが、人から聞いたり記事を読んだ感じでは、リソース差を作ることで自身に有利な状況を作り出し、そのアドバンテージを生かして勝ち切ることが多いように感じました。それではカードゲームにおいて、カードパワーが向上すると起こることは何でしょうか。それは前の影響のところでも少し述べましたが、ゲームの高速化です。多くのインフレの行き着く先としては疑似的な、もしくは直接的に勝利を意味するカードの出現です。
どのゲームにしてもただやられるのを見ているのはつまらないので防御用のカードが作られたりしますが、どうせそのうちその防御札を飛び越えて相手を倒しきるカードがインフレによって作成されます。そのような状況になるとどうなるのか。多くのカードゲームのインフレで言えることだと思うのですが、ゲームをたためるカードが作られる→それに対抗する(この場合は耐える)カードが作成される→それを乗り越えるカードが作成される。防御札を超える以上のフィニッシュ方法はありません。つまりインフレは火力を上げる以外の方向に伸ばすしかなくなります。そう、それは先に出すことです。”先にゲームを終わらせるカードを出した方が勝つ”という簡単な理屈です。じゃあキルターンは速くなるのは納得がいくことです。メタカードなどによりターンをもらうことで自分のフィニッシュを先に叩き込もうとするのはとても合理的な戦略だと思われます。では、そうなった際、ゲーム性はどうなるのでしょう。

ゲーム性の変化

前述の通り、インフレ前、あるいは初期ではアドバンテージ差を作りそれを勝利へと結びつけることが多いです。そしてインフレが進むとゲーム速度が加速する。加速するということは、終了までのターン数が短くなる。つまり、ターンの重みが増加します。例を出します。4ターンで終わるゲームと5ターンで終わるゲームでは最終的に迎えるどちらかが勝利条件を満たすという出力は変わりません。その出力を1だとすると4ターンの場合0.25、5ターンの場合0.20が1ターン当たりの貢献量です。つまり、ゲームの速度が加速するほど1ターンで行うべき勝利への貢献度は上昇します。(もちろんそんなに単純に言い切れるものではないのですが、ここでは簡単のために抽象化しています)もちろん現代のデュエル・マスターズのようにハンデスなどを駆使してゲームを意図的に遅くしてターン数が昔よりも長くなるというようなことはありますが、これらは大体2t,3tで相手の主要パーツを抜いているかのように実質的なキルターンはほかのデッキと大差はない気がしています(もちろん遅くはなっているが)。その結果、先手後手の差が大きくなり、運ゲーというような感情を抱く機会が増えてしまいます。ほかにもターン数が少なくなると単純に公開領域が減ることになり、いわゆる事故のような状況に陥ることが多くなり、これもまた運ゲーだという感想に結びついてしまいます(マリガンがないならなおさら)。

クソゲー?

では、インフレしたカードゲームはクソゲーなのでしょうか。私は必ずしもそうではないと思います。インフレして、ゲームレンジが短くなってしまい、先手後手の差が大きくなってもカード開発者たちはよりプレイヤーが楽しめるようなカードデザインをしていますので、ただ出ただけで勝ち!みたいなカードは規制されやすく、また、短いターンの中で密度の濃いやり取りができるようなデザインをすることによって、ゲームとして楽しめる条件は満たしていると感じています(もちろんやらかしてしまった時には、ターン数が短いことで目も当てられないことになった
りしがちですが)。また、今ではカード1枚1枚のゲームに対する影響力が大きいため、リソースを意識した立ち回りは大切な要素です。インフレが進んだところで、ゲームの根本であるリソース管理は変わらず重要であったということです。

まとめ

インフレする中でカードゲームは運ゲーが加速してしまうが、それでもリソースという概念と向き合うことは依然として重要です。それが健在である限り、カードゲームはゲーム足り得ると考えられます。

反射神経

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、4日目の記事です。


こんにちは。TGA23のたもです。

 

みなさんは反射神経をご存じでしょうか。

ご存じですね。反射神経をご存じでない方はあまりいないと思います。

 

では、反射神経というゲームはどうでしょうか。

unityroomで遊べるゲームなのですが、長いことトップページに君臨し続けているので見たことがある人もいるかもしれません。

 

端的に説明すると、2つのボールを操作して、流れてくる板を避け続けるゲームです。左右のボールにはそれぞれ1つのキーが対応していて、キーを押すと外側に、離すと内側に移動するだけのシンプルなゲーム。板を超えるたびにスコアが増えるだけの、とてもシンプルなゲーム。

 

 

……簡単そうですよね。

 

 

やってみれば分かりますが、めちゃくちゃ難しいです。

初めのうちは1桁スコアは当たり前、配置がよくてもスコア20程度が関の山でしょう。

 

しかし、謎の中毒性がある。

ジャンルとしては『マウスクリック連打速度テスト』とか『エイム能力テスト』に近い単発系のゲームなのに、他にはない魅力がある。

 

そうして続けていると、突然ベストスコアが50に伸びる。そこで感覚をつかみ、30程度なら苦も無く到達できるようになる。

 

「反射神経」なんて一切使わないのに、このゲームにはこのゲームでしか使わない能力が確かに存在して、それ専用の回路が脳の中で組みあがっていく。

 

やがてスコアは100に到達し、板の速度が上がり、それでもスコアは伸び続ける。スコア200で板の速度が最大になるが、その頃にはもはや板は止まって見えている。

 

回路が「完成」し、雷でも落ちなければミスることはない、そんな自信がつく。実際、スコアは際限なく伸び続け、あとは集中力と目の渇き、そして突発的な痒みとの戦いになる。

 

 

そんなゲームです。

 

 

自分のベストスコアは1300くらいだったのですが、この記事を執筆するにあたり久々にプレイしたら1700まで伸びました。また、unityroomのコメント欄で片手プレイの存在を知ったので挑戦したところ、かなり苦戦しましたが450程度まで到達しました。久々に回路を作る感覚を味わえて楽しかったです。

 

みなさんもぜひ挑戦してみてください。


余談ですが、自分の場合、片手プレイの練習をしていたら使っていない指の組み合わせも勝手に上達していたんですよ。普段左の玉を操作している指で右の玉を操作してもそれなりに上手くいく。でも、反対側の手だと全くできない。

 

人間の脳は不思議ですね。

老人談義:最近のゲームの話

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、3日目の記事です。

はじめに

TGAアドベントカレンダー2025、3日目はTGA21、ヤクガラスがお相手致します。

 

今年もこの季節がやってまいりましたね。
当方、昨年・一昨年と連続で投稿数トップの5本を飾っている暇人ですが、今年は私生活とラボのタスクが溜まりに溜まっているので、記録維持については難しいかもしれませんね……。
まぁ、書き物は苦ではないので、寧ろ現実逃避のために書くかもしれませんが。

 

そんなこんなで、まだまだ未熟な身の上ですが、そんな私も現在5年目。TGAの現役会員の中では年長枠になり、ゲートボール場に片足突っ込んでいるところでございます。

過去2年は若さと熱意に任せて好きなゲームのレビューを書き連ねていましたが、そろそろ「昔はこんなことがあってなー」とか「最近のゲームはー」とか、老人っぽいことを話し始めて先輩風を吹かせてみようかなーと思うわけでございます。

まぁ、ぶっちゃけ「別に面白ければ何でもいいんじゃね」という所に落ち着きますし、多分次回からまたゲーム紹介に戻るので、それこそ「老人の小言」とでも思ってお楽しみいただければと思います。

 

ということで、今日は「最近のゲームのお話」です~

 

ゲームの面白さ

さて、いきなりかなり難しい話ですね。

 

結論から言うと、「人による」という所になってしまいます。
というのも、少なくとも「面白いと思うゲーム」は人によって変わります。
かくいう私も、対NPCアクションや高難易度ストラテジーが好みで、ノベルゲームが苦手です。
ただ、これは「どういうゲームに興味があるか」という話であって、原理的な「ゲームの面白さ」とは若干ずれますね。

 

個人的な解釈や価値基準については様々あるかと思いますが、より普遍的に「ゲームが面白くなる」原理的な背景については、脳科学的には「ドーパミンレベルが上がって報酬系が活発になるから」と説明されます。

さらに遡って、何故報酬系が活発化するのかを突き詰めていくと、多くの文献では「制御感」とか「支配感」という所に行きつきます。
「経験のレプリカ」として構築されたゲーム空間の中での、複雑な処理に対しての操作の簡便さ、行動から結果までのフィードバックの早さ、セーブやリトライによる修正可能性などが、「特定の目的のため行動を計画して実行する」という報酬系の本質的な機能を強烈に刺激することが、「ゲームの面白さ」の本質になるわけです。

 

 

……よく分からないですね。もう少し噛み砕きましょう。

 

動作の簡便性

例えば、マリオがジャンプするたびにプレイヤーが全力でジャンプする必要があったら、それはそれで面白いですが、ゲームとしてはただただ辛いですよね。
あるいは、スマブラの緊急回避で後転する動作がありますが、人によってはかなり苦労する動作かと思います。

動作の一つ一つに苦労が生じない点は、プレイヤーが取れる選択肢の中で発生するコストを大幅に低下させます。

 

即効性

モンハンではダメージを「回復薬」で回復することができますが、回復薬を飲んでから1週間かけて徐々に体力が戻る仕様だったら、嫌になっちゃいますよね。
内容にも寄りますが、多くのゲームではプレイヤーの行動に対する結果は、現実よりも大幅に短縮して発生します。
数週間後に恩恵を受けられるタスクよりも、すぐに結果が返ってくるタスクの方が、モチベーションが上がりやすいことが分かっています。

 

だから、国を救うためには「選挙に行く」よりも「魔王を倒す」方がモチベーションが上がりますし、「病気を治すために1か月間薬を飲み続ける」よりも「回復薬を飲む」方が実行したくなるんです。(私は回復薬を渋って乙る民ですが……。)

 

修正可能性

ボスに挑戦するために5時間かけたのに、負けてしまって一からやり直しになったら、私は「絶対にボコボコにしてやる」と硬く誓う人間ですが、普通は萎えて、そのままモチベーションをなくしてしまうかと思うんですね。
これって日常の試験とかでも同じで、失敗した後の再挑戦が数か月先になると、「次は頑張ろう」よりも「取り返しがつかないことをしてしまった」という感覚が勝る場合が多いんです。
ただ、幸運なことに大抵のゲームには「セーブ」と「ロード」が設定されていて、極論データは作り直せばあらゆる現象が「取り返しがつく」ものなんです。
タスクの実行とフィードバックを経て、「次回」をすぐに試せるゲームの原理は、モチベーション維持に極めて重要になります。

 

ゲームプレイが快適になる背景には、このように①操作が簡便で制御が容易であること、②実行後に結果がすぐに帰ってくること、③モチベーションが失われる「間」が無いこと、などが存在しています。
ここに、ゲームの「目新しさ」や「チャレンジ感」、interestingではなくfunnyな方の「面白さ」などの個性が加わってくることで、昨今のゲームは日夜成長を遂げているわけです。

 

見方を変えれば、前者の項目が満たされていれば、脳が感じるところの「ゲームとしての面白さ」は担保されていると言えます。
その上で、ゲームシステムなど内容の面で「ゲームの楽しみ方」が提示されていて、ここが個人の好みに合えば「ゲームが楽しい」と感じられるわけです。

逆に、原理的な面白さを欠いた「楽しみようがない要素」を持つゲームこそ「クソゲー」であるというのが、私の持論です。

 

最近のゲーム

当方2002年生まれで、当時丁度「ゲーム脳」とかいう似非科学が流行っていた時期なんですが、当時から比較すると、ゲームに対しての認識はかなり改善されている印象です。
それもあってか、ゲーム産業はかなり拡大&多様化していますよね。
私自身、古き良きタイトルから新出の不可思議な作品まで色々と遊びつつ、常々実感しております。

 

アップデートされている点を挙げればきりがないですが、方向性の大きなくくりとして、①リアル化、②多機能化、③オンライン化に関しては、多くのゲームジャンルに関わるポイントかと思います。

これらについて、一消費者の分際ではありますが、利点と欠点を分析していきます。

 

リアル化

最近のゲーム、本当にすごいですよね……。
ゲームエンジンが進化して、グラフィックもサウンドも何もかも滑らかになっています。その最たる例が「オープンワールド化」で、マップ間の移動やロードを挟まない仕組みは、めちゃくちゃ綺麗です。

 

利点は言わずもがな、臨場感があることですね。
大事な戦闘やイベントの合間にロードが挟まったり、大事な会話イベントの最中にキャラクターが無表情で突っ立っていたりという、白けてしまうような「ゲームっぽさ」が排除されて、どこまでもゲームプレイに没頭できるようになります。
ロードの省略は「制御感」の向上につながりますし、プレイの中の自然さは、ゲームを「経験の集合体」として脳に強く印象付けるので、いずれも「ゲームの本質的な面白さ」に貢献しています。

 

反面、昨今はゲーム体験の中での「リアルっぽさ」を追求する動きもあります。
ややこしい話ですが、「ゲームの設計がリアルになる」か、「ゲームの内容がリアルになる」か、という違いがあります。
後者の「リアル」については、物によっては寧ろ、ゲームの面白さを損なってしまいます。

 

例えば、モンハンでプレイヤーが操作するハンターは高所から落下してもダメージを受けず、「モンスターなハンター」なんて言われたりしますが、落下ダメージまでリアルに再現されると困りますよね……。
あるいは、あつ森で植えた木が数年経たないと成長しないなら、多分誰も植えません。

前述したとおり、ゲームは「リアルな経験と比較して」制御感や支配感があるために面白く、それを損ねる「リアル」は全てノイズになります。
極論、全てリアルな体験にしたければ、現実で実際に体験すれば良いわけで……。

 

身も蓋もない話ですが、ゲームを面白くするためには「面白い要素を増やす」よりも「面白くない要素を削る」方が簡単で、かつ重要になってきます。
どれだけ楽しい状態でも、水を差す要素が一つあるだけで、ずっと引っかかってしまいますからね。

その側面では、プレイヤーが不便になるリアルさは、「それを楽しみとして取り入れているゲーム」でない限りは入れるべきではないというのが、個人的な所見です。
特に、過去作品でゲーム性をプレイヤーが把握して「楽しみ方が確立されたタイトル」に対して、後継作品でリアル感を付与する行為は、地雷を踏みやすい印象です。

 

多機能化

これはかなりシンプルですが、昔のゲームと比較すると、どのゲームもメチャクチャ機能が多いですよね。

キャラメイクやビルドに幅があったり、アクションが無数にあったり、ゲームのストーリー自体がプレイングで分岐したりと、あらゆる面で「楽しみ方」が増えている印象を受けます。

 

一般に、ゲーム内で「できること」が増えると、ゲームの「制御感」が補完されることで面白さが加速します。

例えば、地上移動限定だったゲームにジャンプが追加されるだけでも、高い場所を探索したり、攻撃をジャンプで回避したりと、ゲーム体験は大きく変わります。
技が増えれば取れる選択が広がり、ストーリーやルートが分岐すれば、各々が自由な楽しみ方を味わうことができるようになります。

 

一方で、自由度の高さは面白さを損なう要因にもなり得ます。
自由度の高さや選択肢の広さが行き過ぎると、プレイングや方針が定まらず「何をしていいのか分からない」という面での非制御感が生じます。

 

もう一点、当然ながら人気タイトルの新作で「楽しみ方が減る」ことも、面白さが低下する要因になります。
過去作ではもっと面白いアクションやシステムがあったのに、今作では丸々削除されてしまった、なんて場面が割と多いです。
元からない場合と比較して、過去の快適感を味わった上で削除される方が、ショックは大きいんですよ……。

「新作の機能拡張」という面で特徴的だと思ったのが、ストⅥのモダン操作設定ですね。
一応、システムとしてはストⅣのアプリ版の「簡単必殺技」の時点で存在していましたが、これがメイン作品の方にも取り込まれた感じかと思います。
私自身、アプリ版でこのシステムに助けられて格ゲーの面白さを知れた民ですので、「初心者向け機能」として楽しみ方が増えるものと考えていましたが、どうも「難しい操作を練習しようとした人がオンライン環境でボコボコにされる」という事態があまり好ましく思われていないようですね……。
確かに、格ゲーマーが壮絶な読み合いの隙間を縫って複雑なコマンド入力でコンボを成功させる様子は憧れを感じますし、それを目指して練習し始めた最中、コンボがつながらず「モダンの方が楽で強い」と言われてしまうと、辛いものがありますね。

一応、コマンドの制限やダメージ低下の都合でクラシックの方が理論上は強いようですが、それでも「コマンド入力に苦戦しながらも対戦して強くなる」という楽しみ方が損なわれるのは、簡単な評価では片づけられない問題です。

 

オンライン化

IT技術の展開・導入のペースも早いようで、最近では身近なコンシューマーゲームまで全部「オンライン化」してますよね。

データがオンラインで取得できたり、マルチプレイが容易になる面ではゲームプレイが快適になっているように見えますが、例のごとく「面白さ」を考えた時に、「オンラインに特化したゲームシステム」は、当然ながら制御感を大幅に損ねてしまいます……。

 

先ほど、ゲームの「ゲームっぽさ」が消えると没頭感が増すという話をしましたが、逆に度重なるロードやラグは、当然ながらゲームの快適さを損ないます。
最近よくあるのが「サービス開始/アプデ直後に人が多くてまともにプレイできない」という状態で、ゲーム体験としては最悪ですよね……。

まぁ、そのために大規模サーバーを用意しておいて、開始から時間がたって人が減った結果行き場を失ったサーバーだけが残る、という事態を考えると、戦略的には「初手で不便をかける」のを許容する方が正解なんですけどね。
そこで、「オフラインプレイ」のオプションがあればまだ楽しみようもあるんですが、最近はマルチプレイを標準化しようとした結果、ソロ・マルチ問わず完全オンライン必須のゲームも多いですからね……。

当方、未だに最近のゲームのマルチ推し姿勢が理解できないソロゲーマーです……。
TGAの人間はマルチ誘わなくてもゲーム買ってくれますし、それ以外でマルチに誘う知り合いもいないので、売り上げにはあんまり貢献できないんですよね。

 

ちなみに、マルチプレイ化そのものに関しては、五分五分という印象です。

極論、マルチプレイする相手はたいていの場合は非制御感の塊ですが、初心者が上級者に助けられて感謝する場面は往々にしてあるかと思います。
同時に、味方のプレイと噛み合わず罵倒が飛び出すのもまた、「制御感」というゲームの本質を考えれば至極真っ当な行動ですし、それを様式美として受け入れていける寛大なゲームであれば、問題はありません。

 

問題は、そんな中で「マナーを大切に」とか提言するゲームの方ですかね。
基本的に、マルチ前提のゲームで「嫌なら出ていけ」とプレイヤーを選別・排斥し始めたらおしまいなので……。

 

長々と書きましたが……

最近のゲームは「新しさ」が開発のベースに置かれている中でも、何となく「価値観の押しつけ」が多くなっているように感じたので、その感覚を共有してみたくなった次第でございます。

 

今回はゲームの面白さの本質を「制御感」という言葉でまとめつつ、その辺を色々と考えていきました。
分析を抜きにした私個人の感覚としても、新しいものばかりでプレイを縛られるくらいなら、過去のゲームのシステムをそのままグレードアップして再現したり、ちょっとした追加要素を入れる程度にしてもらう方が嬉しいです。

そもそも、別に過去のゲーム作品にそこまで不満は無いので……。
いわゆる「リメイク作品」が色々と話題にあがるのを見るに、共感してくれる人は多いと思います。

 

それはそれとして、新しいものが次々と追加されている面については、飽きることが無くて面白いですけどね。
私も来年は色々とぶっ通しで忙しくなる想定ですが、何とか時間を見つけて新作ゲームを漁っていく所存です。

 

ということで、老人がただただお気持ち表明するだけの駄文になってしまいましたが、明日からはまた楽しい感じの記事になるはずなので、乞うご期待です!!

それでも、本日はこんなところで~

 

 

 

ウルデラ言語差小ネタ

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、2日目の記事です。

はじめに

TGA22のClomyです。最初の方は軽い記事がいいかなと思ったんですが、新作ゲームに手を出す数と、新たなRTAに手を出す数があまり変わらない人間がいいネタが思いつかなかったので、ニッチな小ネタでお茶を濁そうかと思います。

ということで、自分がRTAをよくやっている『星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』のテキストの言語差について紹介します。しかも、タイムに関わる部分だけ!

ゲーム紹介

星のカービィ ウルトラスーパーデラックス』は、2008年に発売されたニンテンドーDS用アクションゲームで、1996年発売の『星のカービィ スーパーデラックス』のリメイク版です。カービィおなじみのコピー能力はもちろん、様々なゲームモードのオムニバス形式の作品です。(会誌第126号(2025五月祭会誌)より。懐かしいね。)

言語差比較

実は日本版と、非日本版でそもそもゲームの仕様の違いが多少あります。特に日本版は北米版の次に発売されているのですが、なぜか日本版の方がバグが多かったりします。その辺の話が気になる方はカービィシリーズ Speedrun Wikiの該当ページを見てみてください。

先述の通り、今回はあくまでRTA/IGTAに影響する「テキストの量による表示時間の差」にのみ注目します。具体的なテキスト比較が気になる方はこちらもカービィシリーズ Speedrun Wikiの該当ページを見てみてください。本作は、1文字・1スペースごとに一定時間をかけるため、最速の可能性があるのは日本版と韓国版のみです。この2つについて各モードでテキスト比較すると、ボス「バトルウィンドウズ」出てくるモード全て、および「メタナイトの逆襲」は韓国版が有利(文字数が少ない)、「大王の逆襲」は日本版が有利、他はテキストが表示されないので(バグの使用を考慮しなければ)どちらでも変わりません。割とわかりやすい原因があるな~と昔思っていて、それをまとめたのが以下です。

文字の圧縮効率

軽く韓国語の知識を導入します。韓国語はハングルと呼ばれる文字で記述されます。子音と母音が必ず1セット、母音の後にパッチム(받침)と呼ばれる子音が付くことがあります。例えば漢字の「一」は「일」となり、韓国語の「漢字語」も日本語の「漢字」同様1文字で表されます。一方韓国語の「固有語」については、日本語の「訓読み+送り仮名」とある程度比較できないことも無いですが、一概にどちらが有利とは言い難いです。言えることとして、本作で大きな差になる場所は無さそうです。

パッチムが明確に効いてくるのが、英語等の音をハングル・かなで表すとき、つまり外来語です。「ファンファン」は「펀펀」となんと4文字差です。また長音も基本無く、何度も出てくる「カービィ」は「커비」と2文字差です。カタカナの固有名詞の多いカービィシリーズでは結構有利です。

逆に韓国版の方が不利な点もあります。韓国語は文字の区切りとして句読点(正確には,と.)の他、日本語の「文節」にあたる部分でスペースを空けます。「2連主砲」すら「2중 주포」となり1文字分長くなるので、この点では日本版の方が有利になります。

ところで、カービィシリーズ特有のテキスト文化として、漢字を控え平仮名を多用することが多い印象があると思いますが、意外とその影響はないです。まず、「バトルウィンドウズ」はリメイク元の「スーパーデラックス」で「Classic Mac OS」に似せた作りの関係か、全てひらがな・カタカナになっています。一方「メタナイトの逆襲」「大王の逆襲」は普通に漢字を使います。特に前者は「マジなふんいき」を再現するためそれも自然なことかなと思います。後者もそのオマージュですし。

バトルウィンドウズの言語差

前述の通り、「バトルウィンドウズ」は、日本版は全てひらがな・カタカナになっているので、漢字語を使える韓国版が有利……というのが理由の半分です。残りの半分は何と日本版のみに挿入される「インデント」です。

○○が、
   Xポイントあがった!

という表示1回ごとに5文字分損ですので、これだけで30文字分の損です。

「メタナイトの逆襲」の言語差

合計すると15文字分韓国版の方が有利です。この微妙な差については、日本版は毎回最初に『「』を新たに表示するために1文字分の時間を消費することで22文字分の時間を消費していることが韓国版の勝因だったのではないかと思います。

もう少し韓国版が有利な気がしていたんですが、パッチムの無い外来語「メタナイト」が「메타 나이트」と1文字分損だったせいかもしれません。

「大王の逆襲」の言語差

合計すると15文字分日本版の方が有利です。これについては理由ははっきりしていて、日本版に比べて韓国版の方が余計な形容詞がついているからです。「わがしもべ」が「내 충직한 신하(私の忠直な臣下)」、「おのれおのれ、ピンクだまめ!」は「이 괘씸한 핑크색 찐빵 녀석(この忌まわしいピンク色の찐빵やろう)」といった具合です。ピンク「だま」に対応する「찐빵(チンパン)」は蒸しパンらしいです。ちょっと気になる。

まとめ

ということで、誰向けの情報かはわかりませんが、「外来語」、「韓国語のスペース」、「日本版のインデントと『「』」、「韓国版へのローカライズの際の形容詞の追加」が文字数差のポイントになっているようです。

ちなみに、最初は「韓国版/日本版の方が文字数が少ない」に統一しようと思ったんですが、面倒になったので「韓国版が有利」という走者語を躊躇なく使うことになりました。

2025年の振り返り

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2025、1日目の記事です。

はじめに

 2025年度TGA代表のlinkiです。 今年もアドカレをやることになりました。初日は代表が書くらしいので、自分の視点から覚えていることを振り返りたいと思います。

3月

代表就任

 代表になりました。

新歓の準備

 無事にサークル代表者会議に出ました。慣例の地獄のビラ詰めもたもさんの協力で終わってめでたしめでたし

4月

新歓

 新歓がほかのサークルと被って新入生が少なかったです。オンライン新歓もありましたが、なかなか去年のようにできませんでした。いろいろ改善の余地あるでしょうかね

5月

五月祭

 副代表のMさんが頑張りました。場所もよくてたくさんの人が来て、企画の並走がやや大変のと、ある企画で会員が寝坊したこと以外無事に終わりました。

8月

駒場祭責任者会議

 夏休みだし帰省の時期は当然オンラインもあると思って前日見たらオフラインだけで、当日も委員会からの電話は出れずMさんが対応しました。Mに感謝しています。

夏コミ

 3回目(?)の売り子をやりました。OTBさんとwattaさんの協力で結構売れて、楽しいコミケでした。

9月

夏休み企画

 Mさんが提案した夏休み企画です。たくさんのゲームをみんなで遊びました。

11月

駒場祭

 紅白戦とスマブラ対戦企画が三回も続きました。安全に終わりました。紅組は勝利おめでとうございます!

12月

アドベントカレンダー

 やるかどうかの議論を忘れて、開催することをデフォルトとして始めました。完走できるといいね

冬コミ

 昨日が締め切りですが、自分はレポートが多くては締め切りを守れないことが判明しました。12/30(火) 、東ト23aでお会いできるのを楽しみにしております。

終わりに

 振り返ってみたら自分の事務能力がカスなことは自明なことであり、無事に代表としての役割を果たしたのは怪しいかもしれません。それにもかかわらず、ゲー研の活動は来年以降も続きます。来年は会員がもっと増えて、みんなで元気にゲームを楽しめることを心より願っております

『Bots Are Stupid』の紹介

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2024、25日目の記事です。

はじめに

TGA24のlinkiです。そう、また私です。
なぜか二日連続になっちゃった。昨日もピンチヒッターのつもりで入れましたが、なんと今日も同じです。
アドカレ23日目、たもさんの記事を見てプログラムパズルについて、中学にマイクラのプログラミングゲームをやったことを思い出しました。
それは今の私にとってもう最高につまらないけど、それに似ている面白いプログラミングゲームはあります。
以下は紹介になります。

ゲーム紹介

『Bots Are Stupid』は上に言ったプログラミングゲームと同じように、プログラムだけでキャラクターを移動させます。

大まかな指令リスト:
move 
wait
jump
hook
repeat

大体見た通りに、移動、待つ、跳ぶなどができます。特徴的なものはフックで、振り子みたいに揺れて移動できます。
ほかに、プログラミングなので分岐(if)と繰り返し(for)があります。forはrepeatで実装でき、ifはwaitに整合されています。

基本のクリア方法は散らかっている欠片を集めて、最後に赤いゲートに行けばいいです。

面白い?

ここまで見て、これで…どこが面白い?と思うかもしれません。確かに、こういうゲームを面白いと思う人間はそんなにいないでしょう。
だけど、このゲームの物理演算のおかげで面白くなりました(現実世界に忠実かどうかはほっといて)。
waitはuntil groundedやuntil fallingなど条件で使うのが簡単だけど、一定の時間を待つのは結構細かく調整できます、それとhookやレベル内の加速装置を合わせるといろいろ面白い(想像できない)動きができます。
この動画を見るとわかると思います。(黄色いのは加速装置)
うまく使うことで、hookは急に加速するのも止めるのもできる以外に、微妙に移動方向を変わるのもできます。それはちゃんと待つ時間を調整しないとできません。
ということで、試行錯誤や微調整で乗り越えるのも面白いです。

終わりに

気付いたら紹介記事ばっかになっちゃいました。来年はちゃんと多様性を増やします。
これでアドベントカレンダー2024は終わりです。
来年のアドカレもお楽しみに!
レポートと期末は頑張りましょう!

『文字遊戯』の話

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2024、24日目の記事です。

はじめに

TGA24のlinkiです。今日はクリスマスだ!
だけどクリスマス関連のゲームはあまり頭に思い浮かばないので、全然関係ないゲームの話をしたいと思います。
本日の主役は『文字遊戲』です。結構前から存在を知っていたけど、実際に買って遊んだのは今年の十一月です。

ゲーム紹介

文字通りに文字だけからなるアドベンチャーゲームです。アスキーアートっぽいですね。
プレーヤー(我)は削字之劍、押引手袋、離合之兜の三つの道具を使い、文字を消す、移動する、分離する、合体するなどの操作をします。パズル的に文字を変化させてゲームを進めます。
具体的に文字の操作をいうと、“不可能”から“不”を消すとか、“体”を“人”と“本”に分けるとか、“可”に“人”を加えて“何”にするなどができます。(あくまでも例)
この仕組みをうまく活用して設計するゲームです。実際にどう使うかは体験版をやればわかると思います。

感想(ネタバレなし)

ここからは中国語バージョンについての感想になります。
このゲームの発想はすごいと思いました。漢字でこんなことができるのは想像できなかったです。
体験版で遊んだ仕組み以外にも、ほかに文字を使う表現とパズルは素晴らしいですが、やや物足りない気持ちもあります。
発想はほんとに見たことないものだけど、この仕組みはまだ完全に活用されてないと思います。未来にこれを活用したパズルが出るのを期待しています。

日本語版

今は体験版(文字遊戯 第零章)だけリリースされています。完成版は2024年リリースで書いていますが、たぶん2025年以降になるでしょう。

日本語の体験版も遊んだけど、正直完成版はどうなるかは全然わかりません。むしろ心配しています。

普通のゲームはただちゃんと翻訳すれば大体なんとかなるけど、このゲームは言語が中心になっていて、違う言語になるとレベルを考えさないといけません。
特に一番重要な漢字は、中国語の繁体字と日本語の漢字の違いがあります。中国語バージョンに超えないかもしれないけど、リリースを待つしかないです。

 

終わりに

記事を見た人が大体遊べないゲームの話をして申し訳ございません。(TLP中国語選択としても繫体字という壁があります)
独特なゲームなので知って損はないと思います。
それでは、良いクリスマスを!

プログラムパズル_ハノイ 解説

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2024、23日目の記事です。

はじめに

こんにちは。TGA23のたもです。本アドベントカレンダーに寄稿するのはこれで3回目になりますが、前の2本は軽めの記事だったので今回はガッツリ書きたいですね。
とか考えていたら公開日の前日になってしまいました。せっかくガッツリとネタを考えていたのに今から書いていたら間に合いません。僥倖、書くのは楽だけど読むのは大変な記事を書けば満足してもらえるのではないかと閃いたのでそうします。

 

というわけで、プログラムパズル_ハノイというちょっとしたパズルゲームの解説をします。

ゲーム紹介

名前の通り(擬似的な)プログラムを書いてハノイの塔を解くパズルです。穴埋め形式なのでプログラミングの知識はほぼ必要ないですが、穴埋めであるがゆえに作者の意図を汲み取る必要があり、下手に一からプログラムを書くより難しいです。

 

ところで、このゲームのサイト(よかひよかとき)には他にもパズルがたくさんあり、どれも頭を一捻り二捻りする必要があって面白いです。自分は、このサイトがフィルタリングに引っかからないのをいいことに中学時代に教室のパソコンで遊び倒していました。授業中に紙とペンで解いて友人と競い合っていたのが懐かしいです。

 

閑話休題。そもそもハノイの塔を知らない人もいるでしょう。ゲーム画面を拝借して説明します。

このパズルでは、3本の杭a, b, cと、互いにサイズが異なるn枚の円盤を使います。円盤の中央には穴が空いていて、杭に通せるようになっています。

はじめ、全ての円盤は杭aに上から小さい順に積み重なっています。プレイヤーは1手につき円盤を1枚ずつ他の杭に移すことができますが、自身よりサイズの小さい円盤の上に重ねることはできません。最終的に、すべての円盤を杭bに移すことができればクリアです。非常にシンプルですね。


 

ここから先、ネタバレ注意です。進む前にぜひ自力で解いてみてください。


 

 

 

 

 

Stage 1

最初のステージはハノイの塔の練習みたいなもので、どの円盤をどこに移すかを順に指定していくだけなのでプログラムもクソもありません。

 

解答(クリックで展開)

 

Stage 2

次のステージも内容はほぼ同じで、円盤が1枚増えただけです。

 

解答(クリックで展開)

 

Stage 3

ここで一気に難易度が跳ね上がります。Stage 4、5はStage 3のマイナーチェンジで、Stage 6はガラリと傾向が変わりますがStage 3に比べると難易度は数段落ちます。つまり、Stage 3が実質的なラスボスです。とにかく問題を見てみましょう。

急に見た目がいかつくなりましたが、プログラム自体はさほど難しくないです。

この問題をいきなり解くのは難しいので、まずはハノイの塔自体の解き方を説明します。

ハノイの塔の解法

Stage1と2で勘の良い読者はお気づきになったかもしれませんが、円盤がn枚の時の最小手数は2n-1です。

 

略証:

n=1の時は明らか。

n=kのとき最小手数が2k-1であると仮定し、n=k+1について考える。円盤k+1を杭bに移すためには円盤1~kを全て杭cに移しておく必要があり、この操作に必要な最小手数は2k-1。その後円盤k+1を杭bに移すのに1手、円盤1~kを杭bに移すのに再度2k-1手かかるので、合計で2×(2k-1)+1=2k+1-1手で、これが最小。

あとは数学的帰納法を用いればよい。

 

さて、上の証明はハノイの塔の解き方を具体的に構成しているので、これをプログラムに落とし込めば良さそうです。

パズルの解法

まず、t手目にどの円盤を動かすかを考えましょう。

証明から分かる通りハノイの塔の解法は再帰的に構成できるので、円盤が1枚の場合から順に書き下していくと、円盤を動かす順序は

 

n=1 : 1

n=2 : 121

n=3 : 1213121

n=4 : 121312141213121

n=5 : 1213121412131215121312141213121

 

となります。これを見ると、円盤kを動かすのは

 

k=5 : 24手目

k=4 : 23手目、3×23手目

k=3 : 22手目、3×22手目、5×22手目、7×22手目

 

とわかります。一般化すると、円盤kを動かすのは t=2k-1×奇数 のとき、つまり t%2k=2k-1 のときです(%は剰余記号)。プログラムでは kk=2k-1と定義されているので、この条件は t%(2*kk) == kk と書けます。それっぽい形が出てきましたね。

 

さて、各tについてどの円盤を動かせばよいかは分かったので、あとはどの杭に動かせばよいかを考えればOKです。

まず、ハノイの塔を解く過程でそれぞれの円盤がどのように動くかを考えましょう。

 

k=n の場合、(a) → b のように動きます((a)はスタート地点)。

k=n-1の場合、円盤nをbに動かすために自身はcに逃げておく必要があるので、(a) → c → b のように動きます。

k=n-2 の場合も同様に考えると、 (a) → b → c → a → b のように動きます。

 

これを一般化すると、すべての円盤は

(a) → b → c → a → b → c → a … または (a) → c → b → a → c → b → a …

の動きをする(左右どちらのパターンかはkの偶奇で決まる)ことが分かります。

 

略証:

再帰性を考えると、円盤k+1のt回目の移動先と円盤kの2t回目の移動先は一致する。

よって、円盤k+1が (x) → y → z → x → …と動くとすると、

円盤kの動きは (x)  → ○ → y → ○ → z → ○ → x → … となる。

○ には左右と異なる文字が入る(でなければ移動の意味がない)ので、結局

円盤kの動きは (x)  → z → y → x → z → y → x → … となる。

あとはk=n-1を起点に帰納法を用いればよい。

 

円盤kを動かすのは t=2k-1×奇数 のときだったことを思い出すと、移動先は

 

t=2k-1×1, 2k-1×7, 2k-1×13, … のとき、杭b (杭c) 

t=2k-1×3, 2k-1×9, 2k-1×15, … のとき、杭c (杭b)

t=2k-1×5, 2k-1×11, 2k-1×17, … のとき、杭a

 

となります。これも剰余とkkを用いて言い換えると、

 

t%(2k×3)=1×2k-1 ⇔ t%(kk*6)==1*kk のとき、杭b (杭c) 

t%(2k×3)=3×2k-1 ⇔ t%(kk*6)==3*kk のとき、杭c (杭b)

t%(2k×3)=5×2k-1 ⇔ t%(kk*6)==5*kk のとき、杭a

 

となり、プログラムと同じ形が出てきました。完成したプログラムは次のとおりです。

 

解答(クリックで展開)

 

Stage 4

nが偶数になったバージョンです。

各円盤の最初の移動先(杭bか杭cか)が入れ替わるだけで、他は同じです。

 

解答(クリックで展開)

 

Stage 5

nが一般の正整数になったバージョンです。もう何をするかはお分かりでしょう。

Stage 5とStage 6に関しては正答者が名前を登録できるシステムがあるので、解答の掲載は控えておきます。

Stage 6

先に述べた通り、Stage 6はある意味独立した問題で、再帰関数を使います。

プログラムが急に簡潔になりましたが、そもそもハノイの塔が再帰的なものなので再帰関数と相性がいいわけです。こちらも解答は割愛しますが、ここまで読んでくださった方なら余裕でしょう。

終わりに

書くのが非常に大変でした。

steam上の無料の探し物ゲームたち

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2024、22日目の記事です。

はじめに

TGA24のlinkiです。先日、来年度の代表になりました。(パチパチ)
もう日曜になって、アドカレも残り三日しかないです。
この記事はsteam上の無料の探し物ゲームをまとめます。
探し物ゲームと言っても、私は可愛いものを探す以外興味がないので、大体は動物(九割はねこ)です。以下はリストになります。

 

リスト

100 hidden frogs

100 Korea Cats

100 New Year Cats

100 Waiting Cats

 

100 March Cats

 

100 Robo Cats

100 Capitalist Cats

100 Ninja Cats

100 Christmas Cats

Dino Cats

Robo Cats

Cats Hidden in Paris

Cats Hidden in Jingle Jam

HIDDEN CATS: The last of cats

Where Jellyfish

Where Dragon Spirits

終わりに

他のゲームもありますが、今知っているのは以上です。

 

「入れ子構造」に思いをはせて──『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』

 

この記事は、東京大学ゲーム研究会アドベントカレンダー2024、21日目の記事です。

はじめに

TGA23(現在学部2年)のばんちっちばんです。

気が付いたら今年度の編集長を務めていました。

 

そういうわけで12月の頭のほうは冬コミの記事を書いたりまとめたりで時間がなかなか取れなかったので個人的に待ちに待っていたアドベントカレンダー企画に全然顔を出せていなかったのですが、12月15日に冬コミ頒布用の会誌制作・印刷を終え、ようやく参戦、という運びになりました。

 

なぜ待ちに待っていたかというと、何を隠そう僕がこのサークルではじめて成果物を出したのが昨年のこのアドベントカレンダー企画だからです。

当時趣味で読んでいた本の内容がスプラトゥーンで起きることに応用できそうだなぁと思っていたところ「ゲームに関する単語が1語以上あればなんでもOK」というもはや破るほうが難しい制限しかなかったアドベントカレンダー企画がたまたま始まってくれて、テキトーに記事を書いてみたらあっさり自分の成果物ができてしまいました。

 

今年度は編集長として偉そうにコミケの記事を書けや出せやと会員のみなさんに言って回っていたのですが、先ほどの発言からわかる通り、僕自身昨年の夏・冬コミともに記事を寄稿していませんし、なんなら五月祭や駒場祭のシフトにも全く従事していませんでした。

ただオンラインでたまに行われるスプラトゥーンやスマブラのメンバー募集時に参加していただけで傍から見たら図々しい立ち回りをしている人間でした。

じゃあなんで編集長になったかって?

それは、会議には出席していたからですかね。そこはえらいんですね笑。

 

というわけで(?)これまであまりサークルに関わって来なかったという人も今更と言わずにぜひ書いてください(ようやく堂々と「書いてください」と言えました)

 

さて、大学に入ってからゲームの大半を『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』を占めていて、かつスマブラの話題で無限に記事が書けそうな気がしてやまない今日このごろ、今回の記事ではスマブラからいったん離れて『Milk inside a bag of milk inside a bag of milk』について話します。

僕はセール時にSteamで176円で買ってプレイしました。ニンテンドースイッチ版もあったはずです。

(そういえば、「桜井政博のゲーム作るには」の最終回でも一瞬このゲームの画面が映っていましたね。)

 

本題に入る前に注意点を一つ。この記事を読むにあたって必要な情報はゲームのスクショやテキストの引用を通じてなるべく補っています。

なのでプレイしていない方にもある程度は読める内容になっているはずですが、一方その代償としてネタバレを多分に含んでいます。

このゲームは価格もかなり安いですし、数十分あれば一周は遊べますから、未プレイの方は全然途中で読むのをやめてもかまいません(←もちろん他の方もOK!)ので、気になったらぜひプレイしてみてください。(ただし、ゲームにエンタメを求めている方は購入をお勧めしません。)

 

 

それでは、ちょっと変わった「入れ子構造」の世界へ!

ちょっとした紹介・感想

まずSteamのゲーム紹介文を翻訳アプリにかけて出てきた日本語訳をご覧ください。

 

日常の些細なことがどのようなチャレンジになり得るかを描いた短編集。少女が牛乳を買うのを手伝い、彼女をがっかりさせない最初の人になろう。

 

このゲームは小さなビジュアル・ノベルで、面白い抽象的な言葉遊びか、痛々しい心理的エピソードを見せる。歴史が実際の出来事に基づいていると主張するのは具体的すぎるだろうから、抽象的な言葉遊びの集合であるかのように装う方が簡単だ。
まず第一に、これは言葉と形式を使った芸術的な操作であり、それから初めてゲームなのだ。

 

特徴
短い時間(10~15分)
ユニークなグラフィックスタイル
本格的なオーディオソリューション

 

はい。こんな感じのゲームです。

と言っても言葉のみからイメージを構成するのは難しいでしょう。

一通りプレイした身からすると、なるほど、となりますが、現時点でたいしてわからなくても全然問題ないです。

 

紹介文にある通り、このゲームの目的は単純かつ明瞭で、少女が牛乳を買いに行って、おうちに帰るまでを手助けしてあげることです。

いとも簡単にこなせてしまいそうな試練ですが、あなたがプレイヤーだったら本当に彼女に最後まで寄り添えますか?

 

どんなゲームか想像を膨らませるために英語版(オリジナル)と日本語版のそれぞれのスタートの画面を見てみましょう。

下の画像です。

スクショ

(中学校程度の英語力と鋭い勘を持ち合わせる人はこの並置された二枚の画像に違和感を覚えるかもしれない。)

 

なんか、おかしいですね。

僕も最初そう思い、このゲームのプレイ後、その感想を抱いたことに非常に後ろめたさを感じました。

 

このゲームの主人公である少女はある時から赤色以外の色を認識できなくなり、ゲームの画面には終始その少女の視界が映し出されているとされています。

彼女の「変わった」知覚は視界の色に限らず、人が化け物に見えたり、お会計で二日間経ったように感じたり、はたまた入れ子になっている構造が好きだったり、と認識・時間感覚・趣味嗜好などもろもろの感覚において「普通」から逸脱しているのです。

スクショ

スクショ

これは彼女が患っている病気や処方している薬の副作用によるものだということがゲーム内で明かされますが、このゲームの中でそれが完治することはありません。

 

いわゆるハッピーエンド的なものは一切もたらされませんが、上で見たような「いつもと違った独特な雰囲気」がこのゲームを貫いているので、とあるゲーム紹介サイトでは「カルト的な人気を誇る」と題されているほど評判はよいものとなっております。

Steamの高評価レビューのほうには込み入った解釈・考察のほか

・わからないのが面白い
・なんか普通と違うから面白い
・「雰囲気ゲー」と俗に言われるやつ

というような感想が多く見られました。

 

一方でその独特な雰囲気・世界観がフィットしない人も当然いますから、低評価レビューも一定数存在しております。

理由としては

・短い
・無料でいい(無料で数時間もあそべる似た雰囲気のゲーム『ゆめにっき』と比較)
・「懐かしい感じのフリーホラゲ風」
・応答バリエーションが少ない
・「結構出つくされているアイディア」
・支離滅裂、わからない
・ギミック、物語的展開がない、驚きがない
・思考がまとまらない

などです。

 

僕はもちろん買ってよかったと思っています。記事の題材にしているくらいですからね。

ただ個人的に「わからないもの」を放置しておくという姿勢はあまり好きではないです。だからといって必ずしも「わからないもの」がわかるようになるとも限りません。

ですが、「わからないもの」に対して放置するのでもなく、またわかるようになるのでもない関わり方はあると思います。そろそろ本題に入りますが、以下の実践はそういう類の関わり方一つとして行うという意味も含んでいます。

 

「普通」を疑いましょうね、とか、「変わった」ことを体験するのは楽しいね、とかいう平易な教訓もしくはひねりのない感想を示して終わることもできますが、今回はちょっと踏み込んで考えてみますよ!

「入れ子構造」を見てみよう!

下の画像はゲームの中盤、少女がお店に入って牛乳を陳列棚から取るシーン。

「入れ子構造になってる文が好き」な彼女はこんなことを発言します。

スクショスクショスクショ

僕は最初、この彼女の発言の文構造を理解するのにかなり時間がかかりました。

どうでしょうか。構造、わかりますかね。理解力のある方には冗長に思われるかもしれませんが、解説いたします。

 

彼女は

牛乳

を取りました。

 

そこでさらに、彼女は取った牛乳がどんな牛乳であるかを補足説明してくれます。

その牛乳は

袋の中の  牛乳

であるとのことです。

 

彼女は優しいのでその袋がどんな袋であるかをさらに補足説明してくれます。

その袋は

牛乳が中に入った  袋

であるとのことです。

 

最後の補足説明を追加することで問題が起きます。一つ上だけを見ると一見わかりづらいかもしれませんが、一番上からここまでをくっつけてみましょう。

できあがった彼女の説明はこうなります。

 

「牛乳」が中に入った  袋  の中の「牛乳」

 

おわかりいただけましたか?

「牛乳」を説明するにあたって本来説明の対象であった「牛乳」自身を用いて説明してしまっているのです。

 

この点はわかってほしいので具体例を用いてさらに説明すると

例えば、リンゴ、という単語を説明するのに、

「リンゴとはリンゴでないもの以外のものである」

と言うのと似たようなことをしているのです(少女の間違いには袋がはさまっている分若干違うので余計にややこしくなってしまっていたらすみません)。

 

理解していただけましたか?

これ以上丁寧な説明はできないので先に進みます。

 

「入れ子構造」の形をとった少女のこの発言から少し奇妙なことが浮かび上がってきます。それはこのゲームの中心的なテーマの一つであろう、「入れ子構造」に関する重要な問題です。

 

入れ子構造の好例と言えば、「マトリョーシカ」でしょう。人形の中に人形が入っていて、その人形の中に人形が入っている玩具です。

5体人形が入っていれば5重の構造を持っていると言えます。

 

それでは少女の発言を見てください。

 

牛乳が中に入った袋の中の牛乳が中に入った袋の中の牛乳……

 

確かに、文章的には「入れ子構造」に見えます。しかしながら、実際は一つのゲシュタルト(ひとまとまり)の牛乳と一枚の袋を行ったり来たりしているだけでそれらの外部へは開かれていない閉じた構造を持っています。

つまり、言ってしまえばその構造はたった1重(?)でしかなく、一種の無限ループと化してしまっているわけです。

(「いや、牛乳や袋の粒子一つひとつが違う牛乳・違う袋と考えられるから~~」というのはやめてください。泣きます。)

 

彼女の生み出した構造は果たして「入れ子構造」なのでしょうか。いや、違います。

おそらく、最初に彼女の発言を理解するのに時間かかった理由はそこの違いにあると思います。というのも、実際に違う袋や牛乳が外にある状況を仮定すると、少なくとも僕はすんなり文意を理解できるからです。

というわけでひとまずこの記事では、彼女の言う「入れ子構造」をカギかっこを付して表記することでマトリョーシカ的な本来の意味の入れ子構造と区別します。

 

ここまで彼女の発言に表れていた「入れ子構造」について少々分析しました。

さあ次は、彼女の発言から間接的に導き出せる無限ループ的な「入れ子構造」を探っていきます。

 

浮かび上がってくるもう一つの「入れ子構造」

僕が見出したこのゲームのもう一つの「入れ子構造」を見る前に、その簡単な準備としていったん「視点」のお話をします。

決して難しくない話なのですがゲームをプレイしていないと状況がつかめないので、ささっと話しておく感じです。

 

下の画像を見てください。

スクショ

「地の文」がありますね。
画面の下の部分に出てくる地の文は一貫して主人公の内面の視点から語られています。
つまり、地の文には彼女が物事をどう見ているか、どう感じているかといった彼女の主観が反映されています。
以後、こういう状況を、〈少女〉もしくは〈彼女〉が語っている、と表現しましょう。

「うわ変な記号出てきた!難しい!」
と思わないでください。ただ視点を含意させるための記号ですので、〈〉で括られていたら後ろに“の視点”をつけて考えていただければさしあたって大丈夫でしょうし、そんなに厳密にならなくても問題ないかもしれません。

 

一方で〈プレイヤー〉のセリフの選択肢は、下の画像のように画面の中央部に出てきます。
スクショ

そして、物理的な世界に住む〈私〉は〈少女〉と〈プレイヤー〉との対立のうち、〈プレイヤー〉に同一化(感情移入)を果たし、その語りを通じて少女と交流するのです。

 

 

 

さて、先にしておかなければならない視点の話は済みました。

それではこれから本題のもう一つの「入れ子構造」を暴いてみましょう!

 

ゲームの終盤といったところでしょうか、少女が自分の病気のことや過去にあった出来事を話してくれてなんとか理解できそうだとなりつつあった最中、彼女は〈私〉にとって衝撃的な発言をします。

スクショ

!?!?

〈プレイヤー〉=「君」は少女自身が作ったものである、という趣旨の発言です。

 

僕はこの発言を聞いた瞬間に、再度プレイしなければならないことを悟りました。

これは、〈プレイヤー〉がそもそも彼女の想像上の人格(イマジナリーフレンド)であることを示しているのに加え、今まで画面の中央に表示されていた〈プレイヤー〉の発言の選択肢は彼女自身が考えたものであることをも意味します。

 

僕は〈プレイヤー〉の発言の選択肢をもちろん〈プレイヤー〉の独立した人格からの発言だと思っていましたから、これらすべてが少女自身が考えた選択肢だったとすると「その想定で一からやり直さねば」となったのでした。

 

(余談)

ちなみに冒頭のほうに2つの画像を並べたかと思いますが、

英語の字幕は“HELP ME BUY MILK”と書いてあります。助けてもらうのは彼女だからこの語り手は〈少女〉で確定です。

 

一方日本語の字幕「牛乳を買いに行こう」は

〈少女〉の語り(この場合「う」は「意志」の用法)とも

〈プレイヤー〉の語り(この場合「う」は「勧誘」の用法)とも

どちらにもとれる内容になっています。

素晴らしい訳ですね。

もしこの2つを上で並べた時点で「これは〈プレイヤー〉と〈少女〉の区別があいまいなのでは?」と勘づいた読者の方はいらっしゃいますか?感づいた方がいれば崇めたてまつります。

僕はこの記事に使う画像を集めている途中にようやく気付きました。

(余談終了)

 

彼女の衝撃発言の後でこのゲームへの接し方を180°変えるとちょっと違和感のある構図が浮かび上がってきます。ここからちょっと難しくなるので、だいぶ雑ですが自分のほうで図に還元してみました。

手描き図

一見これまで〈少女〉と〈プレイヤー〉がやりとりをしている二元的な構造のようでありましたが、〈プレイヤー〉からの矢印は実際のところ、〈少女〉から出たものであったということが明らかになりました。すなわち、〈少女〉の秩序が〈プレイヤー〉の秩序をのみこんでしまったわけです。これにて構造は一元的な性質(矢印が出てくる源が一つだけである状態;二元的は源が二つ、多元的は源が複数個ある状態)を帯びます。

 

本来、〈プレイヤー〉というのは〈少女〉から独立した人格であるはずでした。

その場合〈プレイヤー〉は独自の視点を持っており、〈少女〉からある程度影響を受けることはありますが、完全に規定されたり従属したりすることはありえません。

 

これは実生活の人間関係にも同じことが言えます。

他人は自分の思い通りに動いてくれることもありますが、当然ながら意のままにならないこともあります。というかその場合のほうが多いですよね。

それはなぜかというと他人は自分と「絶対的に違っている」からです。

自分が何をしようとどうあがこうとも、他人は自分を超越しており、決して自分からの規定の枠に収まることはありません(レヴィナスの他者論を思い出しましたが、これを書いている現在参照できるものがありませんので勢いのままに行きます)。

 

しかしどうでしょう、このゲームで生起していた関係性というのは。

今や、〈少女〉は〈プレイヤー〉をのみこみ〈プレイヤー〉全体を包含したため、〈プレイヤー〉はもはや〈彼女〉から超越した存在ではなく、「絶対的他者」の地位から退いてしまっています。

そしてここには先ほど「牛乳」と「袋」で確認された無限ループ的な「入れ子構造」が今度は〈少女〉と〈プレイヤー〉の間で成立してしまっているのです。

 

〈少女〉は今誰であるか、〈彼女〉はこのように言います。

スクショ

ノベルゲームのキャラクターである、と。

 

さて、それではどんなキャラクターなのでしょうか?

先ほど「牛乳」は、「牛乳」と密接に関わっていた「袋」をもって説明されました。今回も同様に最も密接に関わっているもので説明してみましょう。このゲームの物語世界では〈プレイヤー〉が最も身近ですね。

〈彼女〉は

〈プレイヤー〉がしているゲームの中のキャラクター

です。

 

ところで、〈プレイヤー〉って誰でしたっけ。

〈プレイヤー〉は

〈彼女〉の頭の中の人格

でした。

 

つなげると、

 

〈少女〉の頭の中の〈プレイヤー〉がしているゲームの中の〈少女〉の頭の中の〈プレイヤー〉がしているゲームの中の〈少女〉……

 

「入れ子構造」が発生しました。

 

〈少女〉と〈プレイヤー〉が二元的である限りこの構造は「牛乳」と「袋」の構造とほぼ同じで、無限ループさせたとしても「行ったり来たりしているね」で済みます。

 

しかし、今回は違います。

〈プレイヤー〉が〈少女〉の想像上のものであるという一元的な関係性によって悲劇的な様相を帯びるのです。〈彼女〉の自己規定は「絶対的に他なるもの」の存在によるものではなく、〈彼女〉自身のやり方でもってなされています。これが非常にまずいです。

『〈わたし〉は「〈わたし〉の生み出したもの」じゃない、』

と言っているのと同じなのです。

〈わたし〉を支えるものは〈わたし〉であり、その〈わたし〉を支えるものは、、、と無限ループに終止符を打つことはできなくなってしまっています(「行ったり行ったり」なのか「来たり来たり」なのかはわからないです笑)

 

つまり、いったん〈少女〉の自己像が崩れると〈少女〉はそこから自身のよりどころを失い、規定不能に陥ります。これでは自我を安定的に保つことはできず、より一層深い悲しみを誘う構造が間接的に導かれるのでした。

 

 

とまあ、ここらへんがテクストをもとに分析できる構造の限界だと思います。

分析したことをまとめると、

・少女の言う「入れ子構造」は実際には同一のもので行ったり来たりしているだけであること

・〈少女〉の自己規定は一元的で無限に続いてしまう規定であり、〈彼女〉の自己が安定しないということ

になります。

 

※なお、英語の原文だと日本語で「入れ子」と訳出されているところは“pyramidal”となっており、Webで使える英英辞書OEDで引いてみたところ「ピラミッド型の」「円錐型の」などと訳出するらしく、「入れ子」と訳せるような例文は一切のっていませんでした。

 

今回は日本語訳に従って入れ子構造について分析しましたが、原文に忠実に分析してみたらまた面白い結果が出てくるかもしれません。

気が向いたらやりますが、現状まったく思いつかないので誰かにやってほしいですね。

 

あと、翻訳者さんのnote記事があったらしいのですが、現在はなくなっていました。

もしこの部分に関する記述を記憶している人がいましたら教えてほしいです。

 

 

少女の変わった感覚を経験して

(ここから主観が多めになります。)

 

ところで、〈プレイヤー〉の発言として用意された選択肢は、早くお店に行ったら?などといった少女を助ける趣旨の発言か少女への協力を拒否する発言で、いずれの発言も彼女の理解しがたい発言とは打って変わって、はるかに容易に理解できるものとなっています。

 

〈プレイヤー〉は〈少女〉自身から生まれ出ていますから、とりもなおさず彼女は僕たちに理解できる文章を紡ぐことができるということが帰結します。

 

プレイ中、少女は「普通とは違った」感覚を持ち合わせているため、しばしば〈彼女〉と本当にコミュニケーションを取れているのか、彼女の発する「日本語」はそのまま日本語として捉えていいのか、彼女は終始「日本語もどき」を話しているのではないかと疑り深くなる時があります。

がしかし、彼女の想像上の人格が僕たちの感覚に合わせた発言をしてくれるという事実からその疑念はすぐに晴らされます。

そして、できる限り「普通の」感覚に合わせようとする誠意のこもった彼女の献身は本当に切なくあるのですが、この彼女の贈与的な行為によって僕たちは彼女と同じ地平を歩む可能性を見出すことができると僕は考えます。

 

 

僕たちは似た感覚を持つ人がいないと孤独になります。スクショ

ですが、残念なことに僕たちは他の人が世界をどのように見ているのかは決して知ることはできません。他の人たちが自分と似たような「世界」に生きていることを証明することは不可能なのです。

それでも僕たちは、きっと他の人も自分と同じように物事を体験しているであろうというかりそめの確信を前提に「空は青いね」と言ったり「楽しいね」と語りかけたりし、特にことばを通じて感覚・認識を共有しているような感覚を得ます。そして、「言語ゲーム」(ヴィトゲンシュタイン)が成立している限りにおいて僕たちは認識の類似性を疑うことをせず、結果的に「絶対的な他者」の絶えざる攻撃から身を守りつつ自我をも育むことになります。

 

 

その点において、彼女も僕たちと感覚を共有しています。他者なんていなくてもいいやとはなりません。

 

スクショいやむしろ、彼女は誰よりも他者が欠乏していたがためにイマジナリーフレンドが生み出されてしまったのかもしれません。

少女の〈プレイヤー〉のことばの提示で見せた歩み寄りは、健気でこころもとない「類似的他者」への欲望のあらわれであったと言えるのではないでしょうか。

 

おわりに

ここまでお読みいただきありがとうございます。

アドベントカレンダーだから短い記事を想定して、書き始めたらどんどん字数が膨れ上がってこんなに長い文章ができてしまいました。

また時間もどんどん過ぎていって気づいたら日付を回って数時間も経っていました。最後のほう文章が適当になってすみません。

誰か対策を教えてください。

 

早く寝たいので最後にこのゲームの続編といわれている、『Milk outside a bag of milk outside a bag of milk』をスーパー簡潔に紹介します。詳しくはリンク先を見に行ってください。

 

この間1周やりました。『inside』より時間がかかりました。

『inside』の場面のカラー版の映像がありました。

ゲームのアニメーション・演出が増えていました。

 

 

僕は買ってよかったです。

 

それでは。スクショ